akkiy’s 備忘録

主にインスタで載せ切れなかった読書記録とか。

【読書記録】「21世紀家族へ[第4版]」(著:落合恵美子) 各章の要約も含めたメモ

インスタの方で載せ切れなかった「21世紀家族へ[第4版]」(著:落合恵美子)の要約メモなど。

 

 

以下、要約も含めた乱雑なメモ。

 

7頁 21世紀家族を見通すために、逆説的に20世紀家族とはなんだったのかを明確にしなければならない=問題定義の重要性

 

プロローグ 二〇世紀家族からの出発

 

1章 女は昔から主婦だったか

女性は昔から主婦だった訳ではなく、戦後の高度経済成長期の中のサラリーマン家庭の増加に伴い主婦化した。

一方、女性はかつては農業などの家業に従事した、今は勤めに出ている。

産業構造の変化によって主婦化が進んだ。

そういう意味では女性は社会進出したということは半分正しく半分間違い。

昔の女性は働いておらず、最近働き出したと考えるのは見当違い。

女性は主婦だという性役割、規範は高度経済成長期に大衆化したに過ぎない。

 

2章 家事と主婦の誕生

家事と主婦の誕生からの歴史について。

市場の発達により売れる仕事と売れない仕事が分けられ、家事というものも規定され指し示されるようになった。

大正期の「おくさん」=月給取りの妻、女中という家事使用人を使い高い水準の家事をする、当時あった色々な女性像の一つに過ぎない。

戦後の主婦=女中に代わって様々な電気器具を使って高水準の家事をする、女性の中の圧倒的な多数派、違う立場の女性(働く女性など)は肩身の狭い思いをするくらい主婦であることが強い規範性を持った。

 

3章 二人っ子革命

戦後の主婦となった昭和一桁生まれの女性はほとんど2、3人の子どもを産む(多産と無産の減少)=子どもの数の画一化、規範化=再生産平等主義=出生率の第一の低下=二人っ子革命。

農業社会において子どもは生産財だが、サラリーマン社会では子どもは耐久消費財、でもそれでも子どもの数が2人を中々下回らなかったのは規範の力があったから。

 

4章 核家族化の真相

戦後の核家族化の真相は、家制度と訣別しないままの核家族化。

長兄夫婦が田舎で親と同居して、弟妹たちは都会でなりゆきのまま核家族を作った。

その弟妹たちは親族ネットワークを形成して子育てや介護などで何かと支え合っていた(=社会福祉いらない論)。

サザエさんは嫁姑の対立の無い妻方同居家族だから、家制度と民主的核家族という二つの矛盾した理想を無理なく結びつけられた。

人口転換の移行期にあった多産少死世代は、人口爆発という人口学的条件があったから高度経済成長も可能になった。

 

人口爆発、親族ネットワークの形成という人口学的特徴を持つ移行期世代が「家族の戦後体制」を支えた→「家意識の残存」「家族の自立性の高さ」等々、日本の文化的特殊性と言われることの多くは人口学的に説明できてしまう。

 

5章 家族の戦後体制

家族史的意味での「近代家族」は普遍的なものではなく、ある時代に出現した歴史的現象に過ぎない。これを普遍的なものとして理想化すると、家族が揺らぎ「危機」に陥った時(=現在進行中)にどうしようもなくなる。

 

「近代家族」という概念は、私たちが当たり前だと思っている家族が実は決して当たり前のものではないということに気づかせてくれる。

 

一九世紀家族=中産階級の「奥様」と「旦那様」の家族、女中を雇っている。

二〇世紀家族=2、3人の子どもと家事に専念する専業主婦のいる家族=大衆化している、これこそ当たり前の家族と思われている。

 

6章 ウーマンリブと家族解体

ウーマンリブの歴史

 

7章 ニューファミリーの思秋期

ニューファミリーの歴史、動向について。

戦後日本に一時期形成されたニューファミリー=友達夫婦とはいうが、これは男性優位、女性は家庭にという典型的な近代家族。

後に矛盾にぶち当たり「主婦離れ」、主婦役割からの脱出が起こる。

 

8章 親はだめになったか

20世紀の精神分析学は近代家族の人間関係を前提にした学問ゆえ、母子相互作用論など母子関係のみを強調しがち→そこで女性に言えることは男性にも当てはまる。

 

現代において、結婚をするか否か、そのタイミングを早くするか遅くするか、子どもを産むか否か、子どもを何人産むか等々、結婚と出産に関して多様な生き方が出てきている。

つまり、皆が結婚し、皆が同じように2、3人の子どもを産むという再生産平等主義、近代家族体制は過去のものとなる。

 

なぜ子どもを産むのかという問いは大きな謎となりつつある。昔は経済的に役立つから(生産財としての子ども)、みんなが産むから(近代家族の規範)だったが今ではどうか?子どもはもはや耐久消費財でしかない。

 

つまり子どもを産み育てる必要性を実感しているのは国家だけ(将来の労働力として)。国境を越えた労働力の移動を自由にすれば良いが、そうなると国家の存在基盤、意義も怪しくなる?

 

「労働力が」とか「高齢化が」とかいう天下国家の立場から子どもを持たない選択をした人たちを批判するべきではないし、できない。

 

9章 双系化と家のゆくえ

人口学的理由により家制度は今後滅びる、もしくは根本的に変質する。それゆえ現代の夫婦は、夫の家か妻の家のどちらか入りきるというよりは、両方の親たちともバランスよく付き合い続ける道を選びつつある=家制度の双系化。

 

親子の付き合い方も従来の同居or別居だけでなく近居など多様化する。

 

高度経済成長期=潜在的労働力過剰時代、終身雇用、年功序列、非能力主義の日本的経営で過剰な従業員たちの失業不安をなくし、安価な労働力を粗放に使えた。

 

また近代家族的性別分業は非効率だが女性を主婦として各家庭に抱え込ませる「失業対策」として機能した。

 

現代は慢性的な労働力不足の時代→女性の就労=家事労働(介護も含む!)の労働力も不足する時代

 

人間の生活水準はカネ、ヒマ、テマ(経済学でいう「サービス」)の三つから構成される。テマの圧倒的大部分は家事が担っている。

 

家事労働力不足は介護保険によるヘルパーさんの雇用で補っている。これにより女性のケア時間は大きく減った。また男性も家事参加しなければならないフェーズにある。

 

介護保険は費用がかかりすぎるので抑制すべきという意見があるが、これは介護のためにキャリアピークの年齢で仕事を辞める人々(=税収の損失←まだ多いが)をかなり抑えている。

 

10章 個人を単位とする社会へ

日本において江戸から明治にかけては離婚をすることは珍しいことでは無かった。

今は家族の時代、家族を基礎単位とする社会の終わり、個人の時代、個人を基礎単位とする社会のはじまり。

前者の社会を前提に雇用、税制、年金、日常生活、あらゆるシステムが成り立っていた(=サラリーマン夫と専業主婦妻、2、3人の子どもという「標準家族」から外れた人々を罰する社会)。

ライフスタイル中立的な社会制度が必要、そのための方途もいくつか。

 

11章 家族の戦後体制は終わったか

90年代からの女性の脱主婦化、就労拡大=非正規雇用の拡大でもあった(正社員OLが担っていた補助業務の外部化)。

 

この四半世紀で日本において再生産平等主義=誰もが結婚して子どもをもつ社会は完全に消え去った。これは現代社会において人生選択の自由度が増した結果である一方、結婚をしたり子どもを持ったりしたいと思っていても経済的な理由から出来ていない人々が一定数いることも示している。

 

結婚、出産、仕事など様々な選択肢から好ましい人生を誰もが選べる社会を実現するには?

 

現代において、家意識が残存していた核家族化という家族の戦後体制はすっかり変容した。「家」はもはや維持できず、核家族世帯は今でも多数派ではあるものの割合としては減少傾向にあり、また核家族の中でも子どもがいない=夫婦のみの家庭の割合が増えている。

一方で、老親援助や子育てにおいて家族主義的な相互援助が活発になっている部分もある。

 

12章 二〇世紀システムを超えて

筆者のいう「20世紀システム」=①ケインズ福祉国家、②フォード的生産様式と大量消費社会、③男性稼ぎ主と女性主婦からなる近代家族、からなる社会システム

 

「20世紀システム」からの転換にどう立ち向かったか。ヨーロッパでは結婚に関する価値観の変化に次いで、お金が無いから近代家族を作れない経済問題が発生した。

 

ただヨーロッパでは「20世紀システム」を相対化する思想が幸いにもあったので、結婚や家族の有無により法的扱いが変わらないようにするライフスタイル中立的な、「個人を単位とする社会」を目指した制度改革が進んだ。また全ての政策にジェンダーの視点を組み込む「ジェンダー主流化」も進んだ。その結果、多くの国で出生率が低下傾向から上昇に転じ、女性の労働力率も高まった(効果がまだ出ていない国もある)。

 

東アジアの家族主義は、個人の背負うリスクや負荷の受け皿として家族が機能するものだが、それは同時に家族に何かあったら自分が支えなければならない、「無くても大変、あっても大変」なシステムである。それゆえに「家族からの逃走」が起き、結婚しない、出産しない、同棲も婚外子出生もしない人が増えている(=個人主義なき個人化、家族の実態の変化の進行)。しかし社会構造としては依然として家族が単位となっている。このギャップがますます「家族からの逃走」、個人化が進んだり、あるいは家族主義を守るために無理な苦労を引き受けたりする。変化しているのに変化しないような日本社会の奇妙な実感は、現実の変化とそれに反して強固に維持される家族主義的な制度とのギャップから生まれているのではないか?

 

80年代、日本では学生運動を経て社会に出た団塊の世代がかつてない好況を謳歌したために改革の機運が萎んでしまった。オイルショック後、西洋文明が後退している中で日本が成長を続けたことは、単に人口構造や賃金の相対的な安さに起因するのに、それらには目を向けずに、成功の原因は日本的経営や集団主義などの文化的要因であるとされた。この思い違いはオリエンタリズムにおける「西洋」とは対照的なイメージとしての「東洋」を自らのアイデンティティとしてしまう「自己オリエンタリズム」が作用したと思われる。そしてこれは近代家族を日本の伝統家族であると勘違いしそれを志向する政策に繋がり、ライフスタイル中立的な「個人を単位とする社会」を目指した制度改革が不完全に終わってしまった。結果として、文化的過信に陥り客観的な社会科学的分析を怠ったことから「戦後体制」を固定する後ろ向きの制度改革が行われ、「失われた20年」を招いた。

 

現在の日本社会は「縮んだ戦後体制」と呼べる。安定した雇用と家族を持つ人々からなる戦後体制がそのまま縮んで小さくなり、その周りにシステムに入れない女性や非正規雇用や移民などの不安定な雇用や家族を持つ人々が取り残されている。現在の社会保障制度は「縮んだ戦後体制」の中にいる人々のみを対象としている。家族、雇用が多様になった今、それらの人々を社会の正規の成員として認めて柔軟に含み支えるような、ライフコースによって区別されない、個人を単位とする社会制度が求められている。

 

未婚のひとり親や移民の子どもなど、20世紀的な標準を外れて多様な人生を送る人々を包摂できる社会制度づくりが、21世紀で活力ある社会を実現することに繋がる。

 

 

エピローグ 二一世紀家族へ

タイトルの「二一世紀家族へ」を改訂にあたり刷新することも検討したが、日本はまだ二〇世紀なので、タイトルは皮肉なことにそのままとなった。しかし日本は確実にじわりじわりと変わっている。社会の様々なところにいる人たちがつながっていくことで、「家族の戦後体制」に代わる新たな時代に相応しい枠組みもできていく。