akkiy’s 備忘録

主にインスタで載せ切れなかった読書記録とか。

【読書記録】「女のひとについて」(著:謝冰心) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「女のひとについて」(著:謝冰心)のメモなど。

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。

 

15男は条件についてあれこれいう前に考えるべきだ。自分はその条件にふさわしいかどうか。「容姿端麗」を望むなら、まず鏡と相談する。自分はハンサムかどうか。「性格温厚」がいいなら、自問してみる。自分は穏やかで道理をわきまえた人間かどうか。

 

127マドモワゼル・Rはじっと私を見つめて、

「何か人生にもの足りないような気がしませんか」

「それはなんともいえませんね。相手を見つけようと思ったこともないし。結婚は、恋愛感情がなければ無意味だし、不道徳だとさえ思うのです。ですが恋愛といってもことが大きすぎて、提灯を提げて相手を捜しに出かけるわけにはゆきません。私ども東洋人は『縁』を信じています。縁さえあればどんなに離れていても出会うでしょうが、もしも縁がなければ、たまたま出会ったとしても一緒にはなれません」

→主人公の恋愛観

 

131-132「どんな男の方でも、結婚前には自分は例外だとおっしゃるわ。嘘をついているわけじゃありません。けれど夫婦の間は、いちばん柔らかくて、いちばん悩ませるもの。そして過ぎゆく時間は、情け容赦のないもの。ところが、ひとたびその方と枕をともにしたら、ずっと、続く。ああ、ずっと続くのです。どんなに固い、きらきら輝くダイヤモンドでもすり減って、色つやのあせた砂粒になります。血の通ったひとの心はなおさらです。ロマンチックな幻想に私が生きていると考えないでください。私はすべて見通せるのです。すべてはっきりわかるの。男の方の『仕事』はもちろん大事です。愛情を重んじるからといって、仕事を放棄してはいけません。お互いの愛情は一生同じではありません。けれど現実は、女は女にすぎなくて、結婚の理想や人生の大義で、自分の疲れた心と体を一生支えることはできません。いちばん悲しくて、いちばん弱っていて、いちばん同情や慰めがほしいその瞬間に、女のひとに与えられるのが、曖昧なことば、心ここにあらずという眼、もっとひどいときには、きつい皮肉と叱責だったら、そんなとき女はどうすればいいのでしょう。そういうことをたくさん見たり聞いたりしてきました。ときほぐすことのできない結婚生活のもつれなのですよ。私は知りすぎるくらい知っているし、わかりすぎるくらいわかっているので、何を犠牲にするかの分かれ道では、軽さ重さを考えるのです」

→男と女それぞれにとっての愛情の違い

 

135北京は爆撃を受けたそうですね。ずっとあなたやご家族のご無事をお祈りしております。しっかりなさい。高い品格をそなえた民族はきっと盛り返します。機会があったらご無事をお知らせください。

→「高い品格をそなえた民族」は侵略をする日本を非難し、中国人民を鼓舞する気持ちを込めていることは明白

 

 

「私の母・冰心——娘から」より

182-183母に送る本には、愛情のところにすべて赤線を引いていた。そんな方法で母にプロポーズしたのであった。それを知って、私たちは「パパ、ずるい」とよく冗談をいったが、父はたしかに純真だった。

 

187-188母が私たちに与えた影響について、最後にお話ししたいのは、子どものときから「おまえたちは女の子だ、だけど男のひとに頼ってはいけない。独立心を持つこと、人に頼らないこと」といわれたことである。

これがいちばん、印象深い。それで私はずっとこれまで「自分は女の子だから」と考えたことはなく、どんな人も、ひとりの人間であると思っていた。だから、男の子の遊びならなんでも遊んだ。木登り、パチンコ、ビー玉遊び、ひとりで縄を結んでブランコをして遊び、落ちて口が血だらけになった。私はあまり泣かなかった。「勇敢であれ、自分がしたことは自分で責任をもちなさい」と母から教えられたからだ。だから私たちはずっと自立している。

海外にいたとき、「アメリカに残りたくありませんか」とよく聞かれた。私たちは残りたくないと答えた。

私たちの仕事は中国にあり、現在はとりわけそうである。教壇で教えることと、人民代表の仕事を通じて、良くないものをしだいに改めていくことができる。これは私たちの責任であり、義務である。だから、母は、母親としての責任、師としての責任を十分はたしたと思う。自分の祖国は愛すべきであると私たちを教育したからである。どんな不十分な点があるとしても、祖国はやはり自分の祖国なのだ。

→冰心の社会や国家へ貢献しようという意志が子どもたちにも継承されている

 

 

「謝冰心先生のこと——訳者あとがき」より

207(子どもたちにあてた手紙)「わたしは心の中に軍人の血をたっぷりもっているのですが、日本人はいつも好きでした。屈辱を感じたことも、敵視したこともありません。ただ『正義』のために、人間が人間を圧えつけいじめることだけは、わたしには我慢できないらしいのです」

→中国をはじめアジアの国々を侵略し、人々を苦しめぬいた日本の軍国主義に対する怒りと批判から生まれた、冰心の生涯を貫いた信念。(この文は『寄小読者』(1926)とその翻訳、倉石武四郎訳『子どもの国のみなさまへ: をとめの旅より』(三省堂1942)に収録されていると思われる)