akkiy’s 備忘録

主にインスタで載せ切れなかった読書記録とか。

【読書記録】「嘔吐」(著:サルトル) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「嘔吐」(著:サルトル)のメモなど。

 

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。

 

95どんな些細な動作も私を拘束<アンガジェ>するのだ。→「アンガジェ」(engager:拘束する)という言葉の初出?

 

 

109私たちは絶えず現在の瞬間においてそれを楽しみ、またそのために苦しんだ。思い出などは一つもなかった。ただ、有無を言わせない焼き尽くすような愛、影もなく、隔たりもなく、避難所もない愛だけだった。すべてが同時に現存する三年の歳月。私たちが別れたのはそのためだ。私たちには、もはやこの重荷を支えるだけの力がなかったのだ。

 

 

114すべてのものを然るべきところに置き直す単刀直入な視線だ。→原文が気になったので調べてみたら” Un regard direct, qui remet les choses en place.”だった。

 

 

150-151彼らは非常に正確に描かれていた。にもかかわらず、彼らの顔は絵筆の下で、人間の顔に特有の不思議な弱さを捨て去っていた。彼らの顔面は、最も精彩を欠いた者でも、陶器のようにつるつるしていた。私はそこに何か木や獣と似かよったもの、大地または水についての思考と類似したものを探し求めたが、無駄だった。たしかに生前の彼らはこのように必然的なものなど持っていなかっただろう、と私は考えた。しかし後世に名を残すにあたって、ちょうど自分たちがブーヴィルの周辺全体に浚渫や掘削や灌漑を行ない、それによって海や畑を改造したように、自分たちの顔にもひそかに同じことをほどこしてくれるよう、著名な画家に依頼したのだ。こうしてルノーダとボルデュランの協力を得た彼らは、〈全自然〉を屈服させた。彼らの外部でも、また彼ら自身の内部でも。これらの暗い画布が私の視線に提供しているものは、人間によって再考された人間であり、その唯一の装飾は、人間の最も美しい征服物、すなわち〈人間と市民の権利〉という花束である。私は何の下心もなく、人間界に感嘆した。

164-171ロルボン氏は私の協力者だった。彼は在るために私を必要としたし、私は自分が在ることを感じないために彼を必要としていた。私は原料を提供していた。私がありあまるほど持っている原料、自分では使い道の分からない原料、つまり存在、私の存在を提供していたのだ。一方、彼の役割は演じることだった。彼は正面から私と向かい合い、彼の生涯を演じるために、私の生を捉えた。私はもう自分が存在していることに気がつかなかった。私はもはや自分のなかでは存在せず、彼のなかで存在していた。私が食べるのは彼のため、息をするのも彼のためだった。一つひとつの私の動作は、外部で、すなわちそこで、私の正面で、彼のなかで意味を持っていた。私はもう、紙の上に字を書く自分の手も、書いた文章さえも見ていなかった――ただ背後に、紙の向こうにいる侯爵を見ていた。侯爵がこの動作を要求したのであり、動作は彼の存在を延長し、それを堅固なものにしていた。私は彼を生かす手段にすぎず、彼は私の存在理由だった。彼は私を、私自身から解放してくれたのだ。では、これから私は何をするのか?
 とりわけ動かないこと、動かないことだ。……ああ!
 この肩の動き、それを私は止めることができない……。
 待ちかまえていた〈物〉が急を察してざわざわし始めた。それは私に襲いかかり、私のなかに流れこみ、私は〈物〉で満たされた。――そんなことは何でもない。〈物〉、それは私だ。存在は解放され、自由になり、私の上に逆流してくる。私は存在する。
 私は存在する。それはやわらかい、実にやわらかい、実にゆったりしている。そして軽い。まるで空中にひとりで浮かんでいるみたいだ。それは動いている。至るところにそっと触れるが、すぐに溶けて消えてしまう。とても、とてもやわらかい。私の口のなかには泡立つ水がある。私はそれを呑みこむ。水は喉のなかを滑り、私を撫でて行く――そしてまたしても口のなかにそれが生まれる。私は永遠に、口のなかに白っぽい――わずかばかりの——小さな水たまりを持ち続けており、それが舌に触れる。この水たまり、それも私だ。それから舌。また喉。これも私だ。
 私はテーブルの上に広がる自分の手を見る。手は生きている――それは私だ。手は開く。指は伸び、突き出す。手は甲を下にして、脂ぎった腹を見せている。まるで仰向けになった動物のようだ。指は動物の脚だ。私は試みにそれを動かしてみる。うんと速く、甲羅を下にしてひっくり返った蟹の脚のように。蟹は死んだ。脚は縮こまり、私の手の腹の上に引き寄せられる。爪が見える――私のなかで唯一の生きていないものだ。もっともそれもあやしい。手は向きを変えて、うつぶせに広がり、今は背を晒している。銀色の背中が少し光っている——指骨の付け根に赤毛が生えていなければ、魚のように見えるだろう。私は手を感じる。私の腕の先で動いているこの二匹の動物、それは私だ。私の手は、その一本の脚の爪で、別な一本の脚を掻く。私は手の重みをテーブルの上で感じるが、そのテーブルは私ではない。この重さの感覚、それは長く、長く、消えることがない。消える理由はないのだ。ついに、それは耐え難いものになる……。私は手を引っこめて、ポケットに入れる。けれどもすぐさま布地を通して、腿のぬくもりを感じる。たちまち私は手をポケットから勢いよく引き出す。それを椅子の背に添ってぶらんと下げる。今は腕の端にその重さが感じられる。それは少しだけ、ほんの少しだけ引っ張っている。やんわりと、ふんわりと、手は存在している。これ以上しつこくは言うまい、どこへ置こうと手は存在し続けるだろうし、私は手が存在することを感じ続けるだろう。これは抹殺できないし、肉体のそれ以外の部分も抹殺できない。私のシャツを汚す湿っぽい熱も、まるでスプーンでかき回すようにのんびりと身体をめぐっている温かい脂肪も、内部でさまようすべての感覚、行ったり来たりし、横腹から腋の下へと上って行ったりする感覚、または朝から晩まで決まった片隅でおとなしく潜んでいる感覚も、抹殺できないのだ。
 私はぱっと立ち上がる。もし考えることさえやめられれば、それだけでもましなのだが。思考というのは、何よりも味気ないものだ。肉体よりもさらに味気ない。それはどこまでも続いて一向に終わることがなく、妙な味を残していく。おまけに思考の内部には言葉がある。言いかけた言葉、絶えずまたあらわれる不完全な文が。「私は終えなければ……。私は存……。死んだ……。ロルボン氏は死んだ……。私は逆に……。私は存……」。もういい、もういい……こんなふうに、絶対に終わることがない。これが他のもの以上に始末におえないのは、自分に責任があり、自分が共犯者だと感じるからだ。たとえば、私は存在する、といったつらい考察だが、それを続けているのは私である。この私だ。肉体ならば、いったん始まればあとはひとりで生きていく。しかし思考はこの私がそれを継続し、展開するのだ。私は存在する。私は存在すると考える。ああ!長くくねくねと続くこの存在するという感覚――それを私は展開している、ごくゆっくりと……。もしも考えるのをやめることができるならば!私は試みる。そして成功する。頭のなかは煙が充満しているようだ……しかしまたぞろそれが始まる。「煙……考えない……。私は考えたくない……。私は考えたくないと考える。私は考えたくないと考えてはならない。なぜならそれもまた一つの思考だからだ」。つまり絶対に終わることがないのだろうか?
 私の思考、それは私だ。だからこそ私はやめることができないのである。私が存在するのは私が考えるからだ……そして私は考えるのをやめられない。今この瞬間でさえ――まったくぞっとするが――私が存在するのは、存在することに嫌気がさしているからだ。私は無に憧れるが、その無から私を引き出すのは私、この私だ。存在することへの憎しみ、存在することへの嫌悪、これもまた私を存在させ、存在のなかに私を追いやる仕方である。思考は私の背後から目眩のように生まれる。私は思考が頭の後ろから生まれるのを感じる……私が譲歩すれば、思考は前方に、両目のあいだにやって来るだろう――そして私は必ず譲歩する。思考は大きく、大きくなって、今や巨大なものとなり、私をすっかり満たし、私の存在を更新する。
 唾は甘ったるく、身体はなま温かい。私は自分が味も素っ気もないと感じる。ナイフはテーブルの上にある。私は刃を開く。どうしていけないのか?いずれにせよ、いくらか変わるだろう。私は左手をメモ用紙の上に置き、自分の手のひらにナイフをぱっと突き刺す。動作があまりに神経質だったのか、刃が滑って傷はごく浅い。血が出る。それで?何か変わったことがあるのか?ともあれ私は満足感を覚えながら、少し前に自分で書いた白い紙の上の数行の文字にかかる小さな血の溜まり、ついに私であることをやめたこの血の溜まりを眺める。白い紙の上の四行の文字と、血の染み、これこそ美しい思い出だ。私はその下にこう書くべきだろう、「この日、私はロルボン侯爵にかんする本を書くのを諦めた」と。
 傷の手当てをしようか?私は躊躇する。私は少しばかりの血がじわっと出てくるのを見つめる。ちょうどそれが固まり始めたところだ。お終いだ。傷のまわりの皮膚は錆びたように見える。皮膚の下には、他の感覚と似たような微かな感覚しか残っていないが、それはたぶんいっそう味気ないものだ。五時半が鳴る。私は立ち上がる。冷たいシャツが肌にはりつく。私は外出する。なぜか?つまりそうしない理由もないからだ。たとえ部屋にいても、たとえ黙って隅にしゃがみこんでいようとも、自分を忘れることはないだろう。私はそこにいて、床に体重をかけているだろう。私は在るのだ。
 通りがかりに新聞を買う。センセーショナルなニュースだ。リュシエンヌちゃんの遺体が発見された!インクの匂い。紙が指のあいだで皺くちゃになる。破廉恥漢は逃走した。女の子は強姦された。遺体が発見された、泥のなかで痙攣する指。私は新聞を球のようにまるめる、新聞の上で痙攣する私の指、インクの匂い、ああ、今日はなんと物が強烈に存在するのだろう。リュシエンヌちゃんは強姦された。絞め殺された。彼女の身体はまだ存在している、傷つけられた肉体が。彼女はもう存在していない。彼女の手。彼女はもう存在していない。家々。私は家々のあいだを歩く、私は家々のあいだに在って、真っ直ぐに敷石の上を辿る。敷石は足の下に存在する、家々が私に覆いかぶさる、水が私の上に、白鳥の山となった紙の上に、押し寄せるように、私は在る。私は在る、私は存在する、我れ思う故に我れ在り。私は在る、なぜなら私は考えるからだ、なぜまた私は考えるのか?私はもう考えたくない、私は在る、なぜなら私はもう在りたくないと考えているからだ、私は考える……なぜなら……たくさんだ!私は逃げる、破廉恥漢は逃走した、彼女の強姦された身体。彼女は自分の肉体に別な肉体が入りこんで来るのを感じた。私は……いま私は……。強姦された少女。強姦という血まみれの甘美な欲望が私を背後からとらえる、ごく甘美に耳の後ろで、耳は私の後ろに流れる、赤毛の髪、それは頭の上で赤茶色をしている、濡れた草、赤茶けた草、それも私だろうか?そしてこの新聞は、それも私だろうか?新開をにぎる、存在対存在、物は互いにぴったりくっついて存在する、私は新聞を放す。家が飛び出して来る、私の前に家は存在し、壁に沿って私は進む、長い壁に沿って私は存在する、壁の前だ、一歩で、壁が私の前に存在する、一軒、二軒、私の後ろだ、壁は私の後ろに在る、一本の指が私のズボンのなかで引っ掻いている、引っ掻き、引っ掻いて、泥まみれの少女の指を引っ張る、私の指についた泥、指は泥の溝から出てきたが、静かに静かにふたたび落ちる、力も萎えて、引っ掻くのも弱々しくなった、破廉恥漢め、絞め殺された少女の指は泥を掻いていたが、土を掻く力も衰えた、指は静かに滑って行き、頭を下にして落ち、温かくまるまって私の腿を愛撫する。存在はやわらかい、そして転がり、揺れ動く、私は家々のあいだを揺れ動く、私は在る、私は存在する、私は考える故に揺れる、私は在る、存在は転落だ、落ちた、落ちないだろう、落ちるだろう、指が開口部を掻く、存在は不完全である。男だ。このめかしこんだ男は存在する。男は自分が存在するのを感じている。いや、昼顔のように誇らしげで静かに通り過ぎて行くこの洒落男は、自分が存在していると感じていない。開花するということ。切った手が痛い、存在する、存在する、存在する。洒落男はレジオンドヌール勲章を存在する、口髭を存在する、それだけだ。レジオンドヌール勲章でしかなく、口髭でしかない者は、どんなに幸せだろう、それ以外のものは誰も見ない、彼には鼻の両脇に飛び出している口髭の二つの先端が見える。私は考えない、故に私は口髭である。彼のやせた身体も大きな足も、彼には見えないし、ズボンのなかを探れば、きっと灰色の小さな一対のゴムの固まりが見つかるだろう。彼はレジオンドヌール勲章を持ち、〈下種ども〉は存在する権利を持っている。「私は存在する、なぜならそれが私の権利だから」。私は存在する権利を持つ、故に私は考えない権利を持っている。指が立つ。私はこれから……?花開く白いシーツのなかで、花開いて静かにふたたび倒れる白い肉体を愛撫し、腋の下の花咲く湿りと肉体の発する薬用酒とリキュールと開花に触れて、他人の存在のなかに入り、重く甘く甘い存在のかおりのする赤い粘膜に分け入ると、湿った柔らかい唇、うすい血で赤く染まった唇、ぴくぴく動く唇は半ば口を開けて、存在でびっしょり濡れ、透明な膿でびっしょり濡れ、まるで目のように涙を浮かべる甘く濡れた唇のあいだに、私は自分が存在するのを感じるのだろうか。私の身体は生きている肉から成り、肉はうごめき、静かにリキュールをかき回し、クリームをかき回し、肉体はかき回し、かき回し、かき回す、私の肉体の快く甘い水、私の手の血、私は傷ついた肉体に快い痛みを感じ、肉体はかき回し、歩き、私は歩き、私は逃れ、私は傷ついた肉体を持つ破廉恥漢で、この壁のそばで存在に傷ついている。寒い、私は一歩進む、寒い、一歩、私は左へ曲がる、彼は左へ曲がる、彼は左へ曲がると彼は考える、狂人、私は狂人か?彼は狂人になるのが怖いと言う、存在だ、おい、見たかね?存在のなかで彼は立ち止まる、身体は立ち止まる、彼が立ち止まると彼は考える、彼はどこから来たのか?何を彼はするのか?彼はふたたび歩き出す、彼は怖い、とても怖い、破廉恥漢、欲望は靄のようだ、欲望、嫌悪、彼は存在することに嫌気がさしたと言う、彼は嫌気がさしたのか?存在に嫌気がさしたことに疲れたのか?彼は走る。何を彼は期待しているのか?彼は走って逃げてドックに身を投げるのか?彼は走る、心臓だ、心臓がどきどきする、お祭りだ。心臓は存在する、足は存在する、息は存在する、それらはみな存在する、走り、息を切らし、どきどきし、ごくやわらかく、ごく甘く、あえいでいる、私があえいでいる、彼があえいでいると彼は言う。存在が私の思考を背後から捉え、ゆっくりとそれを背後から花開かせる。私は背後から捉えられ、背後から思考させられ、つまりは何物かであることを強いられ、存在の軽い泡となって息を切らせる私の背後で、彼は欲望の霧の泡となり、鏡のなかで死者のように蒼白だ、ロルボンは死んだ、アントワーヌ・ロカンタンは死んでいない、気を失うこと。彼は気を失いたいと言う、彼は走る、走る、いたちが走る(背後から)背後から、背後から、リュシルちゃんは背後から襲われ、存在によって背後から強姦され、彼は許しを請い、許しを請うのを恥ずかしく思う、お情けを、助けてくれ、助けてくれ、故に私は存在する、彼は「海軍酒場」に入る、小さな売春宿の小さな鏡、その小さな売春宿の小さな鏡にほんやり映る彼はのっぽのやわらかな赤毛の男で、腰掛けにどさりと座ると、レコードプレヤーが鳴り始め、存在し、すべてが回り始める、レコードプレヤーは存在し、心臓はどきどきする。回れ、回れ、生命のリキュールよ、回れ、ゼリーよ、わが肉体のシロップよ、優しい言葉だ……レコードプレヤー。

 

When the mellow moon begins to beam
Every night I dream a little dream.
(やわらかな月が輝き始めるときに
毎晩わたしはちょっとした夢を見る)

 

 低い嗄れた声がとつぜん現れると、世界が消える、存在の世界が。この声を持っていたのは肉体を備えた一人の女だ。彼女は精一杯に着飾って、レコードの前で歌い、その声を人が録音した。女。冗談じゃない!彼女も私のように、ロルボンのように、存在したのだ。彼女と知り合いになりたいなどとはひとつも思わない。だが、こいつがある。これは存在していると言えないのだ。回るレコードは存在している。声に打たれて震えている空気は存在している。レコードに吹きこまれた声はかつて存在した。聴いているこの私は存在している。すべては充満しており、至るところに存在があり、それは濃密で、重く、やわらかい。しかしそのいっさいのやわらかさの彼方に、これがある、近寄りがたいもの、ごく近くでありながら、何と余りに遠くにあり、若々しく、冷酷で、しかも澄み渡った……この厳しさが。
→存在に対する疑念がサルトル思想の本質なのかしら?一方で音楽に対してだけは吐き気を感じない?

 

 


266また別な者は口のなかに何か引っ掻くものがあるのに気づくだろう。彼は鏡に近づいて、口を開けてみる。すると彼の舌は巨大な生きた百足になっていて、脚を動かして口の裏を削り取っている。彼は百足を吐き出そうと思うが、それは彼の一部になっていて、手でもぎ取らなければならないだろう。それからまたさまざまなものがあらわれて、それに新しい名前を見つける必要が起こるだろう。たとえば石の目、長腕三角帽、足指—松葉杖、蜘蛛—顎、などだ。また、暖かく快適な寝室のなかの気持のよい自分のベッドで眠った者が、目覚めてみると、素っ裸の姿で、青みがかった土の上に寝ているだろう。まわりはざわざわと鳴る陰茎の林で、ジュクストブーヴィルの煙突のように、赤や白のものが空に向かってそそり立っており、地面からは毛むくじゃらな球根状の玉葱のように巨大な睾丸が、半ば顔を出している。鳥が何羽もこの陰茎の周囲を飛び回って、嘴でそれをつついては血を出させると、傷口から精液がゆっくりと静かに流れるだろう。血の混じった、半透明で生暖かい、細かな泡を浮かべた精液だ。あるいはまた、そのようなことは何一つ起こらず、目につく変化は何も発生しないだろう。
→流石にちょっと気が狂いすぎでは?

 

 

 

【読書記録】「本心」(著:平野啓一郎) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「本心」(著:平野啓一郎)のメモなど。

 

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。(ネタバレ注意!)

 

「プロローグ」
 一度しか見られないものは、貴重だ。
 月並みだが、この意見には、大方の人が同意するだろう。
 とすると、時間と不可分に生きている人間は、その存在がそのまま、貴重だと言える。なぜなら、生きている限り、人は変化し続け、今のこの瞬間の僕は、次の瞬間にはもう、存在していないのだから。
 実際には、たったこれだけのことを言う間にも、僕は同じでない。細胞レヴェルでも、分子レヴェルでも、それは明白だ。
 もっと単純に、僕が今、死にかけていると想像したなら? 僕は現状に留まれない。病状は刻々と悪化し、血圧が下がり、心拍も弱くなって、結局、僕は終わりまで言い果せることなく、最後の究極の変化を──つまり死を──迎えることになるだろう。
 たった一行の文章の中でも、人間は変化しながら生きている。

 こうした考えに、果たして人は、耐えられるのかどうか。──
 今、玄関先で見送った幼い子供の姿は、もう二度と見られない。学校から戻ってきたその子は、朝と似た、しかし、微かに違った存在なのだから。
 僕たちは、その違いが随分と蓄積されたあとで、ようやく感づくのが常だ。
 本一ページ分のインクの量を、僕たちは決して感じ取ることが出来ない。
 しかし、一万冊分の本のインクなら、身を以て実感するだろう。
 変化の重みには、それと似たところがある。勿論、目を凝らせば、その微々たるインクが、各ページに描き出しているものこそは、刻々たる変化だ。

 人間だけではない。生き物も風景も、一瞬ごとに貴重なものを失っては、また、入れ違いに貴重なものになってゆく。
 愛は、今日のその、既に違ってしまっている存在を、昨日のそれと同一視して持続する。 鈍感さの故に? 誤解の故に? それとも、強さの故に?
 時にはそれが、似ても似つかない外観になろうとも、中身になろうとも、或いは、その存在自体が失われようとも。──
 それとも、今日の愛もまた、昨日とは同じでなく、明日にはもう失われてしまっているのだろうか?
 だからこそ、尊いのだと、あなたは言うだろうか。
→プロローグ全てが名文だった。

 

 

第二章「再会」
母への呼びかけ以外には、決して口にしたことのなかった「お母さん」という言葉を、母のニセモノに向けて発しようとすることに対し、僕の体は、ほとんど詰難するように抵抗した。それによって、ニセモノになるのは、お前自身だと言わんばかりに。 僕は死後の生を信じないが、もし僕が先に死んで、母が僕ではない誰か──何か──に、「朔也」と呼びかけているのを目にしたならば、いたたまらない気持ちになるだろう。
→分人主義的な考え方

 

僕は生きる。しかし、生が、決して後戻りの出来ない死への過程であるならば、それは、僕は死ぬ、という言明と、一体、どう違うのだろうか? 生きることが、ただ、時間をかけて死ぬことの意味であるならば、僕たちには、どうして、「生きる」という言葉が必要なのだろうか?

 

背後にすぐに、たった独りになってしまう、という孤独が控えている時、人は、足場が狭くなる不自由よりも、とにかく何であれ、摑まる支えが得られたことの方を喜ぶものだろう。

 

 

第三章「知っていた二人」
空は西から赤みが差しているが、頭上にはまだ暗みきれない青空の名残があった。人のいないプールは、底からライトで照らし出されていて、その色は、沈みゆく太陽が、うっかり回収し忘れた午後の光のようだった。

 

 

第九章「縁起」
勿論、どんな境遇にいようと色んな人間がいる。金持ちがいつも知的で優しいわけではないし、貧乏人が皆、愚かで意地悪だとも言わない。しかし僕は、彼らとの会話に感じた退屈を、何かこの階層に特有なことのように感じるのを禁じ得なかった。僕は、自分が一生、こうした毎日を過ごすことを想像して、耐え難い気持ちになった。帰宅後は、ネットの世界に逃げ込めるだろうが、それでバランスが取れるのだろうか?

 

 

第十章「<あの時、もし跳べたなら>」
誰もが、なにがしかの欠落を、それと「実質的に同じ」もので埋め合わせながら生きている。その時にどうして、それはニセモノなんだ、などと傲慢にも言うべきだろうか。

 

 

第十三章「本心」
誰もがその行動を起こせるわけではないし、起こしても、現実がすぐには変わらないこともある。何度も戦って傷つき、『もう十分』という人もいますね。僕の文学は、もし、そういう人たちのための、ささやかなものだったと見做されるならば、それは喜びです。」

 

僕があの時、〝自由死〟の希望を聞き容れていたなら、母は死ぬ前に、自ら僕の出産を巡る経緯を、話すつもりだったのかもしれない。それは、義務感からというよりも、ただ、聴いてもらいたかったからではあるまいか? 他でもなく僕に! そして、僕が母の〝自由死〟の意思を、闇雲に拒絶することなく理解し、その話に耳を傾けていたなら、その時こそは、母は〝自由死〟の意思を翻していたのではなかったか?……


何のために存在しているのか? その理由を考えることで、確かに人は、自分の人生を模索する。僕だって、それを考えている。けれども、この問いかけには、言葉を見つけられずに口籠もってしまう人を燻り出し、恥じ入らせ、生を断念するように促す人殺しの考えが忍び込んでいる。勝ち誇った傲慢な人間たちが、ただ自分たちにとって都合のいい、役に立つ人間を選別しようとする意図が紛れ込んでいる! 僕はそれに抵抗する。藤原亮治が、「自分は優しくなるべきだと、本心から思った」というのは、そういうことではあるまいか。……

 

 

【読書記録】「カラヤン」(著:吉田秀和) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「カラヤン」(著:吉田秀和)のメモなど。

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。

 

カラヤン登場」
16-17つまり音楽は瞬間に生れ瞬間にすぎさる音の継起であると同時に、それらの瞬間の集合は、一つ一つの瞬間を加算したものでなくて「一つの時の流れの全体」でもあり、そのすぎさることと、一つにおいて全体であることと矛作した性格から、永遠にすぎさってやまない時間の不滅と永続の問題が生れる。だが、そういうことは、また、私たちが音楽をきいていつも経験している単純な事実――つまり、ある時に与えられ、二度と帰らない形ですぎさってしまった感激という形でしか、私たちは永続する感銘をもつことはできないのであって、いくら無限にくりかえされ、正確に同じものを何度も与えられても、それは永続する感銘になるとは限らない――という自明のこととして、私たちに答えが与えられてしまっているのだ。

 

 

「人気の秘密」
24どうして彼にそんな人気があるのか、もちろん素晴らしい指揮者だからである。彼の特徴の最大のものは、オーケストラの音の途方もない洗練、旋律の歌わせ方と劇的な盛上がりとの組合わせ、緩急のとり方などが水際立っている点にある。

 

 

カラヤン
28では、どうして、私はカラヤンをよくききにいったか?カラヤンの魅力はどんなところにあるのか?といえば、少なくとも今の私にとっては、彼の棒できくと、音楽がいつも楽々と呼吸していて、ちっとも無理なところがないというのを、まず、あげたいと思う。そうして、これは近年になると、ますます目立ってきた傾向と、私は思っている。

 

 

「オペラ指揮者としてのカラヤン
120そのあとのことは、くだくだしく辞典を書きうつしてみるまでもない。大事な点は、以上のように、十九歳で突然《フィガロ》の指揮をまかせられるということがあってから、一九四一年、つまり三十三歳になるまでは、ウルムだとかアーヘンだとか、ドイツの小都市の歌劇場にいて、オペラでみっちり腕をみがく時機をもっていたという事実である。カラヤン自身が、あるインタヴューでいっているように『もっとも感受性の鋭い青年音楽家としての十四年の歳月を、地方小都市でゆっくり勉強し、しっかり腕をみがく期間を持てたことがその後仕事をしてゆく上にどんなに役に立ったかわからない」のである。ひとは、とかく、カラヤンというと、早熟の才人で、ヴィーン、ベルリン、それからミラノ、ロンドン、パリとヨーロッパの大都市の檜舞台で華やかに活躍し、いつもセンセーショナルな話題をまきちらす人物というイメージを思いうかべてしまうわけだが、——また、そういう面も、彼にあるのは、何も私が裏書きする必要もないことだが――、しかしその前に十九歳で認められてから、二十歳台の全部と、そのあとの三年間、じっくり地方で実力を蓄えていたという事実を忘れてはいけないだろう。さっきのインタヴューの中でも、カラヤンは、そういう時機を持つことが、最近はだんだんむつかしくなってきたのを、若い世代の指揮者たちのために大変残念がっている。マーラーにせよ、フルトヴェングラーにせよ、ワルターにせよ、クレンペラーにせよ、ベームにせよ、そういう時代があったのに。

 

 

ザルツブルクの復活祭音楽祭」
142ところで、《カラヤンワーグナー》の特徴は、室内楽的な澄明さに到達したといっても決して過言でないほどの管弦楽の未曾有の精緻さと、これまたこれまでの《ワーグナー》ではあまり中心におかれていなかった歌唱のベル・カントと抒情の重視にあると言ってよいだろう。

 

 

「カザルスの死とカラヤン
254-255カザルスは、だが、どういう名手だったか?要は、彼はチェロを、コントラバスの小型で合奏には不可欠だが、ひく人は必ずしも自由に扱うとは限らず、ことに音程はとかく不正確な楽器——あのほとんどすべての楽器のために協奏曲を書いたモーツァルトが、この楽器のために書くのだけは断念したのは、そのためだという説もあるくらいだから、ヴァイオリンを大型にしたもの、つまりりっぱな旋律楽器たりうることを実証してみせた人だといえばよかろうか。カザルスが出て、楽器の世界におけるチェロの位置づけは革命的に変わった。

 

 

カラヤンと老い」
261私など、自分も知らぬ間に年をとってきている間に、「老いる」というのが決して生やさしいものでないのを、時と共に、痛感せずにいられなくなった。「経験によって磨かれた知性の高みから、人の世の営みを達観する老人の目」であるとか、「老人の白髪をいただいた頭の中には若い人に望むべくもない知恵が累積されている」とか、そんなイメージは、だんだん信じられなくなる。むしろ、その「老いたる賢者」の代表的存在みたいなゲーテその人が「老人とは、青春と壮年の痴愚をそのまま持ち続け、その上に老人の虚栄心が新しくつけ加わった存在である」といった、その言葉のもつ苦い真実こそ、思い当たるのである。

 

 

カラヤンの死」
265-266カラヤンと同じころローレンス・オリヴィエが死んだ。私のみた限り、それを扱った文章は、ほとんどみんな、この英国の名優の芸を語るのに終始していた。が、カラヤンの場合はちがう。まるでちがう。西独の代表的週刊紙『ディ・ツァイト」(DieZeit)を要約してみようか。
「この人ほど音の美しさに敏感で、それを極点まで追い、実現する力量をもった人はいなかった。その点、彼が今世紀きっての大指揮者だったことを疑うものはいない。だが、この稀有の才能も結局音楽を袋小路に導いてしまった。それに彼が真剣な関心をもち続けた音楽の複製工学の進歩も、音楽の民主化に役立つよりも、彼個人のあくなき権力志向、音楽市場に君臨しようという欲望の手段になりさがった。」
カラヤンは音楽の偉大な伝統を金貨に変え、音楽経験を高価な消費財の享楽にすりかえたとして、猛烈な非難攻撃をうけたが、それを通じて、ほかの誰よりも時代の動向、現代社会の性格を象徴する芸術家になったのだ。」
 私はこれに大筋で賛成する。逆にみれば、文句の余地のない名指揮者で終ったら、カラヤンカラヤンではなかったことになる。
 彼の経歴には何か不透明なものが残る。特に政治的には、ナチに二度も入党したりして(それで誰かを迫害した証拠もなかったそうだが)いちばん控えめにいってもオポチュニストと呼ばれても仕方あるまい。個人的欲望も巨大で、どこにいっても最高の地位、無制限の権力をほしがり、結局喧嘩別れに終る。
 しかし汚点のついた生涯、欠点の多い人だからといって、その人の芸術を悪ときめつけるわけにいかない。芸術は生活あってのものだが、人生が限りないように、芸術の根も深く微妙に大地に根をはっていて、芸術と人生の関係はとても簡単には割りきれない。

 

267カラヤンのスタイルはその後変りもしたけれど、彼を大向う目当ての虚しい華麗さを狙ったものと呼ぶのは余り正しくない。むしろ、彼は肩の力をぬいて楽々と自然体で演奏するタイプだった。そのため大作、力作をやると、淡々としすぎて拍子抜けする場合もあったくらいだ。反対に、この自然体で、世界一の性能を身につけたベルリン・フィルハーモニーと、たとえば『展覧会の絵』などやった時に、きくものの度肝をぬくような名演が生れるのだ。ムソルグスキーよりラヴェルよりの音楽といえようが、今世紀の管弦楽演奏の一つのクライマックスといってよかろう。

 

 

 

【読書記録】「女のひとについて」(著:謝冰心) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「女のひとについて」(著:謝冰心)のメモなど。

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。

 

15男は条件についてあれこれいう前に考えるべきだ。自分はその条件にふさわしいかどうか。「容姿端麗」を望むなら、まず鏡と相談する。自分はハンサムかどうか。「性格温厚」がいいなら、自問してみる。自分は穏やかで道理をわきまえた人間かどうか。

 

127マドモワゼル・Rはじっと私を見つめて、

「何か人生にもの足りないような気がしませんか」

「それはなんともいえませんね。相手を見つけようと思ったこともないし。結婚は、恋愛感情がなければ無意味だし、不道徳だとさえ思うのです。ですが恋愛といってもことが大きすぎて、提灯を提げて相手を捜しに出かけるわけにはゆきません。私ども東洋人は『縁』を信じています。縁さえあればどんなに離れていても出会うでしょうが、もしも縁がなければ、たまたま出会ったとしても一緒にはなれません」

→主人公の恋愛観

 

131-132「どんな男の方でも、結婚前には自分は例外だとおっしゃるわ。嘘をついているわけじゃありません。けれど夫婦の間は、いちばん柔らかくて、いちばん悩ませるもの。そして過ぎゆく時間は、情け容赦のないもの。ところが、ひとたびその方と枕をともにしたら、ずっと、続く。ああ、ずっと続くのです。どんなに固い、きらきら輝くダイヤモンドでもすり減って、色つやのあせた砂粒になります。血の通ったひとの心はなおさらです。ロマンチックな幻想に私が生きていると考えないでください。私はすべて見通せるのです。すべてはっきりわかるの。男の方の『仕事』はもちろん大事です。愛情を重んじるからといって、仕事を放棄してはいけません。お互いの愛情は一生同じではありません。けれど現実は、女は女にすぎなくて、結婚の理想や人生の大義で、自分の疲れた心と体を一生支えることはできません。いちばん悲しくて、いちばん弱っていて、いちばん同情や慰めがほしいその瞬間に、女のひとに与えられるのが、曖昧なことば、心ここにあらずという眼、もっとひどいときには、きつい皮肉と叱責だったら、そんなとき女はどうすればいいのでしょう。そういうことをたくさん見たり聞いたりしてきました。ときほぐすことのできない結婚生活のもつれなのですよ。私は知りすぎるくらい知っているし、わかりすぎるくらいわかっているので、何を犠牲にするかの分かれ道では、軽さ重さを考えるのです」

→男と女それぞれにとっての愛情の違い

 

135北京は爆撃を受けたそうですね。ずっとあなたやご家族のご無事をお祈りしております。しっかりなさい。高い品格をそなえた民族はきっと盛り返します。機会があったらご無事をお知らせください。

→「高い品格をそなえた民族」は侵略をする日本を非難し、中国人民を鼓舞する気持ちを込めていることは明白

 

 

「私の母・冰心——娘から」より

182-183母に送る本には、愛情のところにすべて赤線を引いていた。そんな方法で母にプロポーズしたのであった。それを知って、私たちは「パパ、ずるい」とよく冗談をいったが、父はたしかに純真だった。

 

187-188母が私たちに与えた影響について、最後にお話ししたいのは、子どものときから「おまえたちは女の子だ、だけど男のひとに頼ってはいけない。独立心を持つこと、人に頼らないこと」といわれたことである。

これがいちばん、印象深い。それで私はずっとこれまで「自分は女の子だから」と考えたことはなく、どんな人も、ひとりの人間であると思っていた。だから、男の子の遊びならなんでも遊んだ。木登り、パチンコ、ビー玉遊び、ひとりで縄を結んでブランコをして遊び、落ちて口が血だらけになった。私はあまり泣かなかった。「勇敢であれ、自分がしたことは自分で責任をもちなさい」と母から教えられたからだ。だから私たちはずっと自立している。

海外にいたとき、「アメリカに残りたくありませんか」とよく聞かれた。私たちは残りたくないと答えた。

私たちの仕事は中国にあり、現在はとりわけそうである。教壇で教えることと、人民代表の仕事を通じて、良くないものをしだいに改めていくことができる。これは私たちの責任であり、義務である。だから、母は、母親としての責任、師としての責任を十分はたしたと思う。自分の祖国は愛すべきであると私たちを教育したからである。どんな不十分な点があるとしても、祖国はやはり自分の祖国なのだ。

→冰心の社会や国家へ貢献しようという意志が子どもたちにも継承されている

 

 

「謝冰心先生のこと——訳者あとがき」より

207(子どもたちにあてた手紙)「わたしは心の中に軍人の血をたっぷりもっているのですが、日本人はいつも好きでした。屈辱を感じたことも、敵視したこともありません。ただ『正義』のために、人間が人間を圧えつけいじめることだけは、わたしには我慢できないらしいのです」

→中国をはじめアジアの国々を侵略し、人々を苦しめぬいた日本の軍国主義に対する怒りと批判から生まれた、冰心の生涯を貫いた信念。(この文は『寄小読者』(1926)とその翻訳、倉石武四郎訳『子どもの国のみなさまへ: をとめの旅より』(三省堂1942)に収録されていると思われる)

 

 

【読書記録】「満州事変:政策の形成過程」(著:緒方貞子) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「満州事変:政策の形成過程」(著:緒方貞子)のメモなど。

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。

 

 

39-42→原内閣当時の政党政治は意外なことに大衆不在の腐敗政治だった

 

47しかしながら、対外面における左右の主張にはかなり異なるものがあった。左翼が国家を超越した階級的連繫に現状を打破する行動源を求めたのに対し、右翼は国家的団結を重視した。国家主義者であった北や大川が国家権力の強化ならびに発展を主張したのは当然である。しかしながら社会主義者でもあった彼らは、資源に恵まれない日本を国際社会におけるプロレタリアと考え、日本の対外発展を国際社会における富の不均衡を是正する正当な行為であると説明した。北は「日本改造法案大綱」の中で、(中略)として、積極的に対外行動を起こすことこそ日本の活路であると主張した

 

49以上述べたように、北・大川ら国家社会主義者の帝国主義は、国家主義社会主義ならびに大アジア主義の融和統合されたものであり、その特徴としては、第一に国内における社会主義の実現は対外膨脹と不可分であること、従って第二には膨脹の結果生ずる利益の恩恵に国民大衆は浴する権利があると考えたこと、そして第三には日本の膨脹をアジア民族の解放と同一視したことである。事実、猶存社の結成後誕生した多くの国家主義団体は、対外膨脹と国民の利益との二重目標を掲げている。

 

 

238要するに関東軍の新国家建設案には、多くの矛盾が見られた。それには根本的には二つの相容れない要求に基いていたからである。関東軍は、被統治国の人心把握の目的のため、また自己の国家社会主義的思想のため、在満民衆の利益と福祉とを確立し、特に軍閥の圧政ならびに資本家の搾取からこれら民衆を保護することを標榜した。しかしながら、関東軍には日本の支配を満州に拡大しようとする帝国主義的要求もまた強く存在していた。そしてこの両者の配慮から、表面上は新満州国のもとで日本人と他の諸民族との平等を掲げながらも、実際上それに反するような対策をたてたのである。この矛盾にとんだ関東軍首脳の方針は関東軍幕僚間においても「軍ノ方針不明」との批判を生じ、昭和七年(一九三二年)一月二七日、片倉は参謀長の意を受けて「満蒙問題善後処理要綱」を作成し、部内説明用として二十部に限定してこれを配付した。

 

 

246-247満州に対する政策に関して関東軍が行った唯一にしてしかも重要な譲歩は、独立国の建設であった。この新国家建設の方策は、関東軍の思想傾向をもっとも明白に示す上でまことに興味深い。新満州政権が自治を目指す大衆運動の結果成立した独立国の形態を取り、国際条約によって日本との特殊関係を規定し、しかも国家社会主義的原理を大幅に取り入れる、というような方策は政府ならびに軍指導層の想像をはるかに越えたもので、彼らの到底承認出来ないところであった。元来、満州事変は、北や大川によって唱道され、経済的不況にあえぐ日本において何らかの行動を起すことによって現状を打破しようとする軍部革新運動の対外的な現われであった。従って、新満州国に具現された関東軍の政治社会理念は、日本の現存体制に反対してはぐくまれた反政党政治および反資本主義の思想の投影にほかならなかった。

しかしながら満州事変と、北および大川の指導下に発展した急進的革新運動は、思想面においてもまた行動面においても重要な相異があった。まず思想面については、石原と板垣を中心とする関東軍国家社会主義に影響されていたことは事実であるが、同時にまた彼らは差し迫った中国ナショナリズムの挑戦に直面して何らかの形でこれに理論的に対応しなければならなかった。これに対し北や大川の革新論は満足な解答を示さなかった。そこで関東軍は、満州在住日本人が提唱した「民族協和」思想を中国ナショナリズムに対するもっとも効果的な武器として採用したのである。満州在住諸民族の福祉を強調する政策は、関東軍の反資本主義に基くものではあったが、それと同時に現住民の支持を確保し、さらに隣接するソ連共産主義の影響をもあらかじめ防止しようとする点において満州の現状に則したものであった。東北行政委員会も、満州国も、またその後満州青年連盟を母体として生れた協和会も、すべて民族の協和と社会福祉とを謳ったが、これには在満諸民族の団結を破壊するナショナリズム階級闘争とに対抗する原理としての役割が課せられていた。

 

 

268-269日本政府は三月一八日満州国に対し、新国家成立の通告を受理した旨を伝えるにとどまった。この時点において、日本政府が満州国に対する承認を延期し得たことは無視すべきではなかろう。政府はここで一応列国との正面衝突を避け、その間に軍部に対する統制力を確保し、中国も列国も受け入れられるような方式で満州問題の解決を計ろうと努めた。その当時は、リットン報告が後に明らかに記したように、日本が満州に対する中国の主権さえ正式に認めれば、世界各国もまだまだ日本の満州支配を許容する意図を有していたのであるから、犬養内閣が対外的に得た小康状態を利用し、対内的に軍部強硬派を抑えることに成功すれば、満州事変を円満に終結させる可能性は僅かながら残っていたのである。

それでは犬養内閣の政治力は、右の目的を達成し得るほど強力なものであったろうか。昭和七年(一九三三年)二月の総選挙の結果、政友会は三〇四議席を獲得し、民政党の一四七議席をはるかに上まわる絶対多数を占めるに至った。しかしながら、軍部に対する議会の権力が弱化したばかりでなく、国民一般も次第に軍部を支持する傾向を示したため、犬養内閣のこの勝利をもってしても、その政治的基盤は十分に強固なものとはいえなかった。

満州事変以前から、国民一般は軍人や満州在住日本人が満州の危機に対処するため軍事行動に訴えなければならないと説くのに熱心に耳を傾けていたが、いよいよ行動が開始され、日本の軍事的成果が大きくあがるのを見ると、彼らは歓喜をもってこれを迎えた。そもそも満州における日本の権益擁護が強く主張されたのは、日本国内における政治的社会的情勢に不満を抱いていた国民が満州において日本の支配権を確立することによって、希望と繁栄ある将来が実現されることを期待したからであった。満州事変下において国内に軍需景気が起ると、国民一般はこれをもって満州が約束する莫大な利益を裏付けるものと考え、軍部ならびに満州事変に対する批判は影をひそめて行くばかりであった。また、一流新聞も満州における日本の軍事行動が自己防衛に基く正当な行為であるとして、完全支持の立場を表明した。軍部の横暴を正面から批判してきた朝日新聞でさえも、日本が長く中国の対日敵対行為に耐えてきた上、今また自己の重要権益を擁護するために行動しているという理由から、満州事変そのものは支持したのであった。反戦運動の動向を探知していた警察も、事変中日本共産党の協力機関である日本反帝同盟の活動および宣伝工作の影響はきわめて弱い、と報告した。

→国民の軍部への支持が後押し

 

 

283-284頻々たる暗殺の連続として、犬養首相が、遂に陸海軍人の一団のために兇手に斃れたことは、吾々の、国民と共に真に悲憤痛恨に堪へざる所である。日本に於ては今日まで、首相その他顕要大官の遭難決して珍らしい事ではない。然し今日までの事件は、何れも所謂暗殺の範囲を脱せざるものであって、不逞の徒が或は停車場に、或は邸宅の出入その他途上等に於て隙を窺って兇行を敢てしたものであるが、今回の事件は白昼公然として首相官邸に押入り、然も陸海軍将校等隊を組んで兇行に及びたりと言へば、暗殺というよりも一種の虐殺であり、虐殺といふよりも革命の予備運動として之れを行ったものと観なければならぬ。それは単に首相官邸のみならず、牧野内大臣邸、警視庁、日本銀行、政友会本部等々まで同様の兇行が加へられた事実に徴しても、左様言ふことが出来る。昨年来軍人間に政治を論じ、革命を云々するものあり、事態容易ならずとは吾々が屢々耳にせる所であった。然し吾々は断じて之れを信じなかった。軍隊及び軍人が政治に容喙する事は、直ちに軍隊及び軍人の潰乱頽廃を意味するものであり、羅馬、希臘の昔を論ずるまでもなく、日本に於ても史上の事実を歴々として指摘すべく、その間の事実に鑑み玉ひ、明治大帝が軍人に対する勅諭に於て「兵力の消長は是国運の盛衰なることを弁へ世論に惑はず政治に拘らず」と戒められたるその大精神は、日本軍隊と軍人の間に徹底し、荷もそれに違背し奉る如き不逞の徒ありて、日本国軍のよって立つ精神的基礎に斧鉞を加へんとするが如きは、あり得べからずと思われたのみならず、上官の命は朕が命と思へと宣ひたるその精神を一貫して、命令と服従との縦の関係に於てのみ、日本国軍は厳粛にして尊貴なる存在であり、もし、軍隊と軍人との間に、政治を論じ時事を語りて、或は少壮佐尉官、或は下士官等が云ふが如く、横の関係が一旦発生するに於ては、帝政末期革命当時のロシアに於けるが如く、遂にその風潮が一般兵士に浸潤し、軍隊と軍人とは豺狼よりも嫌悪すべき存在となり、国軍自らまづ崩壊すべきことは必然である・・・・・国民の進むべき政治的進路は坦々として国民の眼前に展開されてゐる。それは立憲代議政体である。独裁政治が今日以上の幸福を国民に与ふべし、と想像し得べき寸毫の根拠もない・・・・・・此事件は昨秋より明白に予見せられたる事件である。その予見せられたる事件を傍観して今日の結果を招来した責任は何人にありや。検察当局なりや、政府当局なりや、将又検察当局と、政府当局との事実に於て如何ともすべからざる軍部それ自身なりや。国民は厳粛にそれを知らんことを要求する

→犬養の暗殺が重大な意義を有した理由について端的に述べている、福岡日日新聞の社説

 

 

291-292犬養内閣について注目すべきことは、在任中の六カ月間に政党から軍へと政治権力が移動したことである。

このような政治条件のもとにあって、満州に建設された新国家に対処しなければならなかった犬養内閣の取り得る措置は、まことに限定されたものであった。犬養内閣が満州国の正式承認を差しひかえたことは、せい一ぱいの試みであり、これにより、大陸発展を国際協調の範囲で達成しようとする従来の外交政策をともかく踏襲した。犬養内閣のもとでは外交政策上の大転換は行われなかったのである。しかしながら、軍部に対する統制を確立し、満州事変の解決を計るという組閣当初の目的を完遂するためには、恐らく次の二つの方法のいずれかを採らなければならなかったであろう。第一は、満州に対する基本方針を改め、中国ナショナリズムの要求を大幅に容認するような譲歩を行うことであり、第二は、正式の懲戒処分をも含む強硬措置により軍部に対する統制を確立することであった。満州事変の輝かしい成功は、そのいずれの実現をも著しく困難とした。そして、犬養内閣が突然の終りを遂げた結果、軍の政治権力の増大のみが決定的なものとして残ることとなったのである。

→軍部の台頭により外交政策も捻じ曲げられていった

 

 

350→内部では分裂していたものの対外的には統一体だった軍部。外部からの圧力が無い状態だとその支配権は拡大する一方、内部では指導権の所在を決める必要性は減少した

→やばくて草

 

352→政治謀略が是認されている政治制度のもとでは中央の統制の及ばない領域が広汎に存在していて無責任の体制が出来上がる

 

【読書記録】「阿Q正伝・狂人日記 他十二篇-吶喊」(著:魯迅) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「阿Q正伝狂人日記 他十二篇-吶喊」(著:魯迅のメモなど。

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。

 

 

「自序」より

後になって考えたことは、すべて提唱というものは、賛成されれば前進をうながすし、反対されれば奮闘をうながすのである。ところが、見知らぬ人々の間で叫んでみても、相手に反応がない場合、賛成でもなければ反対でもない場合、あたかも涯しれぬ荒野にたったひとりで立っているようなもので、身のおきどころがない。これは何と悲しいことであろう。そこで私は、自分の感じたものを寂寞と名づけた。

 

 

「孔乙己」の訳注より

酒。中国の酒は、醸造酒である黄酒(原料は米または黍で、山東や福建にも産するが、江南では紹興が特産地の紹興酒が有名。これは糯米と麦麴で作る。年代ものを尊ぶため老酒ともいう。日本では老酒の名が通用する)と、蒸留酒である白酒(原料は米または高粱など雑穀、白干または焼酒ともよび、全国各地に産する)と、白酒をベースに薬草などで加工したものに三大別される(ワインやビールは除いて)。黄酒はアルコール分二〇度以下、白酒は四〇度以上ある。

 

 

「明日」より

単四子は胸で思案した。お札もいただいたし、願もかけたし、買い薬ものませた。これで効き目がないとすれば、どうしたものだろうあとは何小仙に診てもらうほかない。でも宝児は、夜だけ容態が悪くなるのかもしれない。あしたになって、日がのぼれば、熱が引いて、喘ぎもとまるかもしれない。病人にはありがちなことだから。

単四子は無智な女ゆえ、この「でも」のおそろしさを知らない。むろん多くの悪いことが、そのお蔭でよくなることもあるが、多くのよいことが、そのお蔭で悪くなる。

 

 

「小さな出来事」より

このときふと異様な感じが私をとらえた。埃まみれの車夫のうしろ姿が、急に大きくなった。しかも去るにしたがってますます大きくなり、仰がなければ見えないくらいになった。しかもかれは、私にとって一種の威圧めいたものに次第に変っていった。そしてついに、防寒服に隠されている私の「卑小」をしぼり出さんばかりになった。

 

 

「故郷」より

私は身ぶるいしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、ふたりの間を距ててしまったのを感じた。私は口がきけなかった。

 

 

古い家はますます遠くなり、故郷の山や水もますます遠くなる。だが名残り惜しい気はしない。自分のまわりに眼に見えぬ高い壁があって、そのなかに自分だけ取り残されたように、気がめいるだけである。西瓜畑の銀の首輪の小英雄のおもかげは、もとは鮮明このうえなかったのが、今では急にぼんやりしてしまった。これもたまらなく悲しい。

 

 

思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

 

 

【読書記録】「ライシテから読む現代フランス:政治と宗教のいま」(著:伊達聖伸) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「ライシテから読む現代フランス:政治と宗教のいま」(著:伊達聖伸)のメモなど。

 

 

以下、印象に残った箇所やメモ。

 

15 ライシテが今回(※2017年)の大統領選挙の主要テーマのひとつとなったのは、別段驚くべきことではない。ライシテの歴史は近代フランスの民主主義の歩みと重なり、現代フランスにおいて重要なテーマであり続けているからである。
ライシテの歴史は古くにさかのぼるが、一七八九年のフランス革命がやはりひとつの特権的な起点をなす。神授権を賦与された王に代わって市民が主権者となり政治権力を構成するようになった転換こそが、やはり革命の革命たるゆえんであり、宗教に抗して人間の自律と尊厳を勝ち取った歴史と記憶が、共和国フランスのライシテ理解の根幹に横たわっている。
(中略)
ライシテとは、宗教的に自律した政治権力が、宗教的中立性の立場から、国家と諸教会を分離する形で、信教の自由を保障する考え方、またはその制度のことである。法的な枠組みでもあるが、国民国家イデオロギーとして、さまざまな価値観とも結びつく。それゆえ、ひとつの逆説として、宗教から自律しているはずのライシテ自体が、あたかもひとつの宗教であるかのような相貌で立ち現われてくる場合もあるだろう。
→ライシテの定義、歴史的背景、逆説としてのライシテという宗教


40→ライシテ7つの類型、
・宗教を敵視するライシテ
ガリカニスム(国家が宗教を従え宗教に介入する政教関係)のライシテ
・個人の良心の自由を重視するライシテ
・礼拝の自由を重視するライシテ
・コンコルダート(宗教協約:聖職者は国家から俸給を受け取る)のライシテ
・宗教の公共性を強調する開かれたライシテ
アイデンティティのライシテ

 

95 「今日の課題は、穏健なひとびとに生きる権利をあたえ、そして、かつては必要だったかもしれないがいまでは必要性がないような厳しい法令の適用をゆるめることである。〔……〕われわれはただ、恵まれないひとびとにも政府が配慮することを願う。それだけである。恵まれないひとびとを活用し、かれらをけっして危険な存在に変えない方法はたくさんある。〔……〕たしかに、カルヴァン派の下層民のなかにはいまでも狂信的な信者がいる。しかし、カトリックの一部、たとえばジャンセニストの下層民のなかにはそれ以上に狂信的な信者がいることも事実である。〔……〕その数を減らすもっとも確かな方法は、この精神的な病を理性による治療にゆだねることである。〔……〕今日、教養人はそろって狂信的なふるまいをあざ笑う。この嘲笑を軽んじてよいものだろうか。嘲笑というのは、あらゆる宗派の狂信的な逸脱にたいする強力な防壁なのである」(『寛容論』)。
ヴォルテールの「寛容論」からの引用部分、ただしヴォルテールは完全に寛容だった訳ではなくあくまで秩序の中でのみ寛容な宗教を許容するよう主張していた、ガリカニスム的ライシテ

 

172→共和国内部に新たな共同体をつくる動きはフランスでは普遍主義に背を向ける「共同体主義」と危険視される

 

206  政治と宗教を区別するキリスト教(およびこの宗教を土台に生成してきた近代西洋の政教関係モデル)と両者の融合を前提とするイスラームは対極にある。歴史的に見ても、「ヨーロッパ」の自己意識そのものが、中世初期に「イスラーム」と対峙したことを通して形成されている。二つの異質で敵対的な文明という図式は、近代西洋の植民主義の時代を経て現代まで続いている。
しかし、本来的に異質とされていたものが歴史のなかで変容を遂げ、ほとんど一致する方向で収斂してくる現実も存在する。ヨプケ(※政治学者)は、教義面ではイスラームのメインストリームは保守的で世俗主義に敵対的だが、イスラームの視点から世俗主義を「土着化」するような社会的プラグマティズムがヨーロッパでは起こっていると述べている。「リベラルなイスラーム」あるいは「ヨーロッパ的なイスラーム」は十分に可能であり、すでに一部は実現している。
ただし、このような動向自体が、二つの異質な文明観の図式を再強化し、両立不可能性を主張する者の言動を再活性化する構図にもなっている。

 

215→ライシテ体制の5つの要素
ケベック政治学者ジェラール・ブシャールは、この四つの要素を土台にしながら、ライシテ体制を構成する要素を五つ列挙している(「間文化主義(インターカルチュラリズム)』)。
一、信仰または良心の自由
二、宗教的およびその他の諸信仰体系の平等
三、国家と制度化された信仰体系(「教会」など)の分離または相互の自律性
四、あらゆる宗教(および深い信仰体系や、世界観に根差した良心の信念)に対する国家の中立性
五、習慣としての価値または代々受け継がれてきた価値

 

217→日本を含めて他の国のライシテでも宗教か文化かの議論がよくある、日本では第一から第四の要素を規定する日本国憲法と、第五の要素としての習慣や伝統との葛藤が主な争点、宗教と習慣や伝統をどのように線引きするか

 

223→明治期の日本は祭政一致政教分離の二重構造

 

228→確固たる信念や本心を抱いている人が少ない日本の社会において、他人の宗教的信念に対しても高い価値をみとめられるか、日本は多神教だから寛容という本質主義的な風土論はその保障にならない。ライシテには宗教のあるなしに関わらず、異質な価値観を持つ人々を平等に遇し、差別をせず、共存を図る「多文化共生」のベクトルがある。しかし日本における「政教分離」という言葉と「多文化共生」のイメージは大きくかけ離れている。