akkiy’s 備忘録

主にインスタで載せ切れなかった読書記録とか。

【読書記録】「嘔吐」(著:サルトル) メモ全文

インスタの方で載せ切れなかった「嘔吐」(著:サルトル)のメモなど。

 

 

 

以下、印象に残った箇所やメモなど。

 

95どんな些細な動作も私を拘束<アンガジェ>するのだ。→「アンガジェ」(engager:拘束する)という言葉の初出?

 

 

109私たちは絶えず現在の瞬間においてそれを楽しみ、またそのために苦しんだ。思い出などは一つもなかった。ただ、有無を言わせない焼き尽くすような愛、影もなく、隔たりもなく、避難所もない愛だけだった。すべてが同時に現存する三年の歳月。私たちが別れたのはそのためだ。私たちには、もはやこの重荷を支えるだけの力がなかったのだ。

 

 

114すべてのものを然るべきところに置き直す単刀直入な視線だ。→原文が気になったので調べてみたら” Un regard direct, qui remet les choses en place.”だった。

 

 

150-151彼らは非常に正確に描かれていた。にもかかわらず、彼らの顔は絵筆の下で、人間の顔に特有の不思議な弱さを捨て去っていた。彼らの顔面は、最も精彩を欠いた者でも、陶器のようにつるつるしていた。私はそこに何か木や獣と似かよったもの、大地または水についての思考と類似したものを探し求めたが、無駄だった。たしかに生前の彼らはこのように必然的なものなど持っていなかっただろう、と私は考えた。しかし後世に名を残すにあたって、ちょうど自分たちがブーヴィルの周辺全体に浚渫や掘削や灌漑を行ない、それによって海や畑を改造したように、自分たちの顔にもひそかに同じことをほどこしてくれるよう、著名な画家に依頼したのだ。こうしてルノーダとボルデュランの協力を得た彼らは、〈全自然〉を屈服させた。彼らの外部でも、また彼ら自身の内部でも。これらの暗い画布が私の視線に提供しているものは、人間によって再考された人間であり、その唯一の装飾は、人間の最も美しい征服物、すなわち〈人間と市民の権利〉という花束である。私は何の下心もなく、人間界に感嘆した。

164-171ロルボン氏は私の協力者だった。彼は在るために私を必要としたし、私は自分が在ることを感じないために彼を必要としていた。私は原料を提供していた。私がありあまるほど持っている原料、自分では使い道の分からない原料、つまり存在、私の存在を提供していたのだ。一方、彼の役割は演じることだった。彼は正面から私と向かい合い、彼の生涯を演じるために、私の生を捉えた。私はもう自分が存在していることに気がつかなかった。私はもはや自分のなかでは存在せず、彼のなかで存在していた。私が食べるのは彼のため、息をするのも彼のためだった。一つひとつの私の動作は、外部で、すなわちそこで、私の正面で、彼のなかで意味を持っていた。私はもう、紙の上に字を書く自分の手も、書いた文章さえも見ていなかった――ただ背後に、紙の向こうにいる侯爵を見ていた。侯爵がこの動作を要求したのであり、動作は彼の存在を延長し、それを堅固なものにしていた。私は彼を生かす手段にすぎず、彼は私の存在理由だった。彼は私を、私自身から解放してくれたのだ。では、これから私は何をするのか?
 とりわけ動かないこと、動かないことだ。……ああ!
 この肩の動き、それを私は止めることができない……。
 待ちかまえていた〈物〉が急を察してざわざわし始めた。それは私に襲いかかり、私のなかに流れこみ、私は〈物〉で満たされた。――そんなことは何でもない。〈物〉、それは私だ。存在は解放され、自由になり、私の上に逆流してくる。私は存在する。
 私は存在する。それはやわらかい、実にやわらかい、実にゆったりしている。そして軽い。まるで空中にひとりで浮かんでいるみたいだ。それは動いている。至るところにそっと触れるが、すぐに溶けて消えてしまう。とても、とてもやわらかい。私の口のなかには泡立つ水がある。私はそれを呑みこむ。水は喉のなかを滑り、私を撫でて行く――そしてまたしても口のなかにそれが生まれる。私は永遠に、口のなかに白っぽい――わずかばかりの——小さな水たまりを持ち続けており、それが舌に触れる。この水たまり、それも私だ。それから舌。また喉。これも私だ。
 私はテーブルの上に広がる自分の手を見る。手は生きている――それは私だ。手は開く。指は伸び、突き出す。手は甲を下にして、脂ぎった腹を見せている。まるで仰向けになった動物のようだ。指は動物の脚だ。私は試みにそれを動かしてみる。うんと速く、甲羅を下にしてひっくり返った蟹の脚のように。蟹は死んだ。脚は縮こまり、私の手の腹の上に引き寄せられる。爪が見える――私のなかで唯一の生きていないものだ。もっともそれもあやしい。手は向きを変えて、うつぶせに広がり、今は背を晒している。銀色の背中が少し光っている——指骨の付け根に赤毛が生えていなければ、魚のように見えるだろう。私は手を感じる。私の腕の先で動いているこの二匹の動物、それは私だ。私の手は、その一本の脚の爪で、別な一本の脚を掻く。私は手の重みをテーブルの上で感じるが、そのテーブルは私ではない。この重さの感覚、それは長く、長く、消えることがない。消える理由はないのだ。ついに、それは耐え難いものになる……。私は手を引っこめて、ポケットに入れる。けれどもすぐさま布地を通して、腿のぬくもりを感じる。たちまち私は手をポケットから勢いよく引き出す。それを椅子の背に添ってぶらんと下げる。今は腕の端にその重さが感じられる。それは少しだけ、ほんの少しだけ引っ張っている。やんわりと、ふんわりと、手は存在している。これ以上しつこくは言うまい、どこへ置こうと手は存在し続けるだろうし、私は手が存在することを感じ続けるだろう。これは抹殺できないし、肉体のそれ以外の部分も抹殺できない。私のシャツを汚す湿っぽい熱も、まるでスプーンでかき回すようにのんびりと身体をめぐっている温かい脂肪も、内部でさまようすべての感覚、行ったり来たりし、横腹から腋の下へと上って行ったりする感覚、または朝から晩まで決まった片隅でおとなしく潜んでいる感覚も、抹殺できないのだ。
 私はぱっと立ち上がる。もし考えることさえやめられれば、それだけでもましなのだが。思考というのは、何よりも味気ないものだ。肉体よりもさらに味気ない。それはどこまでも続いて一向に終わることがなく、妙な味を残していく。おまけに思考の内部には言葉がある。言いかけた言葉、絶えずまたあらわれる不完全な文が。「私は終えなければ……。私は存……。死んだ……。ロルボン氏は死んだ……。私は逆に……。私は存……」。もういい、もういい……こんなふうに、絶対に終わることがない。これが他のもの以上に始末におえないのは、自分に責任があり、自分が共犯者だと感じるからだ。たとえば、私は存在する、といったつらい考察だが、それを続けているのは私である。この私だ。肉体ならば、いったん始まればあとはひとりで生きていく。しかし思考はこの私がそれを継続し、展開するのだ。私は存在する。私は存在すると考える。ああ!長くくねくねと続くこの存在するという感覚――それを私は展開している、ごくゆっくりと……。もしも考えるのをやめることができるならば!私は試みる。そして成功する。頭のなかは煙が充満しているようだ……しかしまたぞろそれが始まる。「煙……考えない……。私は考えたくない……。私は考えたくないと考える。私は考えたくないと考えてはならない。なぜならそれもまた一つの思考だからだ」。つまり絶対に終わることがないのだろうか?
 私の思考、それは私だ。だからこそ私はやめることができないのである。私が存在するのは私が考えるからだ……そして私は考えるのをやめられない。今この瞬間でさえ――まったくぞっとするが――私が存在するのは、存在することに嫌気がさしているからだ。私は無に憧れるが、その無から私を引き出すのは私、この私だ。存在することへの憎しみ、存在することへの嫌悪、これもまた私を存在させ、存在のなかに私を追いやる仕方である。思考は私の背後から目眩のように生まれる。私は思考が頭の後ろから生まれるのを感じる……私が譲歩すれば、思考は前方に、両目のあいだにやって来るだろう――そして私は必ず譲歩する。思考は大きく、大きくなって、今や巨大なものとなり、私をすっかり満たし、私の存在を更新する。
 唾は甘ったるく、身体はなま温かい。私は自分が味も素っ気もないと感じる。ナイフはテーブルの上にある。私は刃を開く。どうしていけないのか?いずれにせよ、いくらか変わるだろう。私は左手をメモ用紙の上に置き、自分の手のひらにナイフをぱっと突き刺す。動作があまりに神経質だったのか、刃が滑って傷はごく浅い。血が出る。それで?何か変わったことがあるのか?ともあれ私は満足感を覚えながら、少し前に自分で書いた白い紙の上の数行の文字にかかる小さな血の溜まり、ついに私であることをやめたこの血の溜まりを眺める。白い紙の上の四行の文字と、血の染み、これこそ美しい思い出だ。私はその下にこう書くべきだろう、「この日、私はロルボン侯爵にかんする本を書くのを諦めた」と。
 傷の手当てをしようか?私は躊躇する。私は少しばかりの血がじわっと出てくるのを見つめる。ちょうどそれが固まり始めたところだ。お終いだ。傷のまわりの皮膚は錆びたように見える。皮膚の下には、他の感覚と似たような微かな感覚しか残っていないが、それはたぶんいっそう味気ないものだ。五時半が鳴る。私は立ち上がる。冷たいシャツが肌にはりつく。私は外出する。なぜか?つまりそうしない理由もないからだ。たとえ部屋にいても、たとえ黙って隅にしゃがみこんでいようとも、自分を忘れることはないだろう。私はそこにいて、床に体重をかけているだろう。私は在るのだ。
 通りがかりに新聞を買う。センセーショナルなニュースだ。リュシエンヌちゃんの遺体が発見された!インクの匂い。紙が指のあいだで皺くちゃになる。破廉恥漢は逃走した。女の子は強姦された。遺体が発見された、泥のなかで痙攣する指。私は新聞を球のようにまるめる、新聞の上で痙攣する私の指、インクの匂い、ああ、今日はなんと物が強烈に存在するのだろう。リュシエンヌちゃんは強姦された。絞め殺された。彼女の身体はまだ存在している、傷つけられた肉体が。彼女はもう存在していない。彼女の手。彼女はもう存在していない。家々。私は家々のあいだを歩く、私は家々のあいだに在って、真っ直ぐに敷石の上を辿る。敷石は足の下に存在する、家々が私に覆いかぶさる、水が私の上に、白鳥の山となった紙の上に、押し寄せるように、私は在る。私は在る、私は存在する、我れ思う故に我れ在り。私は在る、なぜなら私は考えるからだ、なぜまた私は考えるのか?私はもう考えたくない、私は在る、なぜなら私はもう在りたくないと考えているからだ、私は考える……なぜなら……たくさんだ!私は逃げる、破廉恥漢は逃走した、彼女の強姦された身体。彼女は自分の肉体に別な肉体が入りこんで来るのを感じた。私は……いま私は……。強姦された少女。強姦という血まみれの甘美な欲望が私を背後からとらえる、ごく甘美に耳の後ろで、耳は私の後ろに流れる、赤毛の髪、それは頭の上で赤茶色をしている、濡れた草、赤茶けた草、それも私だろうか?そしてこの新聞は、それも私だろうか?新開をにぎる、存在対存在、物は互いにぴったりくっついて存在する、私は新聞を放す。家が飛び出して来る、私の前に家は存在し、壁に沿って私は進む、長い壁に沿って私は存在する、壁の前だ、一歩で、壁が私の前に存在する、一軒、二軒、私の後ろだ、壁は私の後ろに在る、一本の指が私のズボンのなかで引っ掻いている、引っ掻き、引っ掻いて、泥まみれの少女の指を引っ張る、私の指についた泥、指は泥の溝から出てきたが、静かに静かにふたたび落ちる、力も萎えて、引っ掻くのも弱々しくなった、破廉恥漢め、絞め殺された少女の指は泥を掻いていたが、土を掻く力も衰えた、指は静かに滑って行き、頭を下にして落ち、温かくまるまって私の腿を愛撫する。存在はやわらかい、そして転がり、揺れ動く、私は家々のあいだを揺れ動く、私は在る、私は存在する、私は考える故に揺れる、私は在る、存在は転落だ、落ちた、落ちないだろう、落ちるだろう、指が開口部を掻く、存在は不完全である。男だ。このめかしこんだ男は存在する。男は自分が存在するのを感じている。いや、昼顔のように誇らしげで静かに通り過ぎて行くこの洒落男は、自分が存在していると感じていない。開花するということ。切った手が痛い、存在する、存在する、存在する。洒落男はレジオンドヌール勲章を存在する、口髭を存在する、それだけだ。レジオンドヌール勲章でしかなく、口髭でしかない者は、どんなに幸せだろう、それ以外のものは誰も見ない、彼には鼻の両脇に飛び出している口髭の二つの先端が見える。私は考えない、故に私は口髭である。彼のやせた身体も大きな足も、彼には見えないし、ズボンのなかを探れば、きっと灰色の小さな一対のゴムの固まりが見つかるだろう。彼はレジオンドヌール勲章を持ち、〈下種ども〉は存在する権利を持っている。「私は存在する、なぜならそれが私の権利だから」。私は存在する権利を持つ、故に私は考えない権利を持っている。指が立つ。私はこれから……?花開く白いシーツのなかで、花開いて静かにふたたび倒れる白い肉体を愛撫し、腋の下の花咲く湿りと肉体の発する薬用酒とリキュールと開花に触れて、他人の存在のなかに入り、重く甘く甘い存在のかおりのする赤い粘膜に分け入ると、湿った柔らかい唇、うすい血で赤く染まった唇、ぴくぴく動く唇は半ば口を開けて、存在でびっしょり濡れ、透明な膿でびっしょり濡れ、まるで目のように涙を浮かべる甘く濡れた唇のあいだに、私は自分が存在するのを感じるのだろうか。私の身体は生きている肉から成り、肉はうごめき、静かにリキュールをかき回し、クリームをかき回し、肉体はかき回し、かき回し、かき回す、私の肉体の快く甘い水、私の手の血、私は傷ついた肉体に快い痛みを感じ、肉体はかき回し、歩き、私は歩き、私は逃れ、私は傷ついた肉体を持つ破廉恥漢で、この壁のそばで存在に傷ついている。寒い、私は一歩進む、寒い、一歩、私は左へ曲がる、彼は左へ曲がる、彼は左へ曲がると彼は考える、狂人、私は狂人か?彼は狂人になるのが怖いと言う、存在だ、おい、見たかね?存在のなかで彼は立ち止まる、身体は立ち止まる、彼が立ち止まると彼は考える、彼はどこから来たのか?何を彼はするのか?彼はふたたび歩き出す、彼は怖い、とても怖い、破廉恥漢、欲望は靄のようだ、欲望、嫌悪、彼は存在することに嫌気がさしたと言う、彼は嫌気がさしたのか?存在に嫌気がさしたことに疲れたのか?彼は走る。何を彼は期待しているのか?彼は走って逃げてドックに身を投げるのか?彼は走る、心臓だ、心臓がどきどきする、お祭りだ。心臓は存在する、足は存在する、息は存在する、それらはみな存在する、走り、息を切らし、どきどきし、ごくやわらかく、ごく甘く、あえいでいる、私があえいでいる、彼があえいでいると彼は言う。存在が私の思考を背後から捉え、ゆっくりとそれを背後から花開かせる。私は背後から捉えられ、背後から思考させられ、つまりは何物かであることを強いられ、存在の軽い泡となって息を切らせる私の背後で、彼は欲望の霧の泡となり、鏡のなかで死者のように蒼白だ、ロルボンは死んだ、アントワーヌ・ロカンタンは死んでいない、気を失うこと。彼は気を失いたいと言う、彼は走る、走る、いたちが走る(背後から)背後から、背後から、リュシルちゃんは背後から襲われ、存在によって背後から強姦され、彼は許しを請い、許しを請うのを恥ずかしく思う、お情けを、助けてくれ、助けてくれ、故に私は存在する、彼は「海軍酒場」に入る、小さな売春宿の小さな鏡、その小さな売春宿の小さな鏡にほんやり映る彼はのっぽのやわらかな赤毛の男で、腰掛けにどさりと座ると、レコードプレヤーが鳴り始め、存在し、すべてが回り始める、レコードプレヤーは存在し、心臓はどきどきする。回れ、回れ、生命のリキュールよ、回れ、ゼリーよ、わが肉体のシロップよ、優しい言葉だ……レコードプレヤー。

 

When the mellow moon begins to beam
Every night I dream a little dream.
(やわらかな月が輝き始めるときに
毎晩わたしはちょっとした夢を見る)

 

 低い嗄れた声がとつぜん現れると、世界が消える、存在の世界が。この声を持っていたのは肉体を備えた一人の女だ。彼女は精一杯に着飾って、レコードの前で歌い、その声を人が録音した。女。冗談じゃない!彼女も私のように、ロルボンのように、存在したのだ。彼女と知り合いになりたいなどとはひとつも思わない。だが、こいつがある。これは存在していると言えないのだ。回るレコードは存在している。声に打たれて震えている空気は存在している。レコードに吹きこまれた声はかつて存在した。聴いているこの私は存在している。すべては充満しており、至るところに存在があり、それは濃密で、重く、やわらかい。しかしそのいっさいのやわらかさの彼方に、これがある、近寄りがたいもの、ごく近くでありながら、何と余りに遠くにあり、若々しく、冷酷で、しかも澄み渡った……この厳しさが。
→存在に対する疑念がサルトル思想の本質なのかしら?一方で音楽に対してだけは吐き気を感じない?

 

 


266また別な者は口のなかに何か引っ掻くものがあるのに気づくだろう。彼は鏡に近づいて、口を開けてみる。すると彼の舌は巨大な生きた百足になっていて、脚を動かして口の裏を削り取っている。彼は百足を吐き出そうと思うが、それは彼の一部になっていて、手でもぎ取らなければならないだろう。それからまたさまざまなものがあらわれて、それに新しい名前を見つける必要が起こるだろう。たとえば石の目、長腕三角帽、足指—松葉杖、蜘蛛—顎、などだ。また、暖かく快適な寝室のなかの気持のよい自分のベッドで眠った者が、目覚めてみると、素っ裸の姿で、青みがかった土の上に寝ているだろう。まわりはざわざわと鳴る陰茎の林で、ジュクストブーヴィルの煙突のように、赤や白のものが空に向かってそそり立っており、地面からは毛むくじゃらな球根状の玉葱のように巨大な睾丸が、半ば顔を出している。鳥が何羽もこの陰茎の周囲を飛び回って、嘴でそれをつついては血を出させると、傷口から精液がゆっくりと静かに流れるだろう。血の混じった、半透明で生暖かい、細かな泡を浮かべた精液だ。あるいはまた、そのようなことは何一つ起こらず、目につく変化は何も発生しないだろう。
→流石にちょっと気が狂いすぎでは?