akkiy’s 備忘録

主にインスタで載せ切れなかった読書記録とか。

【国家公務員試験 総合職<教養区分>】 独学「ギリギリ」合格ルポエッセイ 1次試験編

はじめに この記事を書く目的

 私は2022年の秋にあった国家公務員総合職の教養区分の試験を受け、最終合格した。それも下から数えてすぐの順位、あと少しで落ちるギリギリの点数で。

 それでも私は予備校にも行かず独学で、また共に受ける仲間もいない完全にぼっちの状態で合格することができた。我ながら良くやったと思っている。

 この教養区分試験(正式には「国家公務員採用総合職試験(大卒程度試験)教養区分」)は受験資格を満たしているのであれば誰にでも開かれた試験である。しかし、試験に関する情報は少ないし、そもそも残念ながら受験者間で大きな情報格差が生じている。合格のためのノウハウは東大や京大などの官僚養成学校にいる受験者、合格者の間に偏在してしまっているといっても過言ではなく、逆に周りに志望者がいないと結構不利な状況に置かれることになる。予備校に行くという事も一つの手ではあるものの、コスパはかなり悪いことは確かだ。ネットで仕方なく調べるにしても有料記事が目立つ。

 このような格差のある現実に少し義憤を覚え、この教養区分試験を真の意味で「誰にでも開かれた」試験に少しでもしていくために何か記事を書こうと思い立った次第である。

 

 ここでは教養区分試験の時の体験をちょっとしたルポエッセイとして書き残しておきたいと思う。教養区分試験の雰囲気や空気感が少しでも伝わるならば幸いだ。

 

 具体的な試験対策に関しては文章末尾の「教養区分合格のヒント」か別に書いた記事を参照していただきたい。

 

目次

 

受験のきっかけ

 私が教養区分試験を受けたきっかけは率直に言うと「就活のすべり止め」を得るためであった。できるならば民間就職したいが、それがダメだった時の保険として受けておくかという軽い動機で受験した。(本気で目指している人には申し訳ないが…)

 

1次試験

対策など

 1次試験の対策として、高校の日本史・世界史の復習と過去問演習を行った。

しかし、確固たる熱意も無い状況だったので勉強にもあまり打ち込めなかった。10月のはじめにある試験に向けて7月に入った段階で勉強計画を立てても、7月末の出願開始後にようやく高校の歴史の教科書を引っ張り出してダラダラと読み始めた。

 8月下旬になってようやく過去問を解き始めたものの、数的処理の問題が全くと言っていいほどできない。

 1次試験には文章理解、判断・数的推理、資料解釈からなる知能分野と、日本史や世界史、数学、物理、化学、時事など、幅広い分野の知識・教養を問う知識分野の2種類の試験があり、前者の方が配点として高くなっている。配点の比率として知能1問:知識1問=3:2である。

 そのため知能分野で出来るだけ点数を稼がなければならないのだが、私は数的推理の問題を苦手としていた。5分くらいで解くべき問題も30分しても良く分からないのである。これでやる気が湧かなかったのもあり、平均して毎日3時間ほどしか勉強できなかった。(本来ならばもっとやるべきなのだろう…)

知識分野はほどほどにできたものの(それでも文系の私にとって理系分野の問題は捨てていたが)、知能分野は半ば諦めのモードになりつつ、そんなこんなで9月も過ぎて、10月2日の1次試験本番を迎えた。都内在住の私は東京の試験地である東京外国語大学府中キャンパスへ行った。

 

当日

 1次試験は午前が2次試験で審査される論文を書く総合論文試験で、午後が1次試験の知能分野の部と知識分野の部がある基礎能力試験(多肢選択式)となっている。

 つまり1次試験では午後の基礎能力試験のみが採点対象となり、その足切りをクリアできれば午前の論文が2次で審査されるのである。逆に言えば足切りにかかると午前中に一生懸命書いた論文は審査すらされないという結構シビアなシステムである。

 

総合論文試験

 さて午前中の論文試験が始まった。問題は2問あった。

 1問目はA4で4ページ半に及ぶ3つの資料(うち1つは英文)を踏まえて、実際の政策の立案・決定においてディレンマをどう扱うべきかを具体的な政策を挙げながら論じる問題。

 2問目はウクライナ侵攻に関連したもので、世界情勢の変化により日本に生じる課題で最優先に対応するべきものを挙げ、最優先である理由を答え、その課題の具体的な対応策を論じる問題。

 中々難しい問題設定である。これらをA3ほどの答案用紙の表裏に4時間で書き終えねばならない。

 前年の問題を大学ノート2ページにさらっと殴り書きしたくらいしか対策をしていなかった私は無い頭をフル回転させて資料を読み始め、要点に印をつけていった。その後、問われたことにしっかり答えるような全体の筋道を何とか描いて、主語と主張、理由、結論を明確にする分かりやすい文章構成をかろうじて意識しながら、あとはただ必死で書きに書いた。

 時間配分は当然として、体力も意識しなければならない重要な項目である。4時間という制限は、速い作業が苦手な私のような鈍間でもおそらくある程度余裕をもってクリアできる長さではある。しかし午後のこれまた過酷な基礎能力試験に向けて労力を上手く調整し、時には早めに切り上げて体力を温存しなければなければならない。

 長丁場なのでトイレ休憩は開始直後もしくは終了直前でない限り自由に取れる。

 そして私は当たり障りのない答案を30分ほど残して何とか書き上げた。結構それらしいことは書けた。しかしこの労作も午後の試験がダメなら水泡に帰すと思うと恐ろしかったりいたたまれなかったりと複雑な気持ちだ。

 

 昼休みはたったの40分と意外と短い。私は教室を出て、建物の吹き抜け部分にあったソファーで持参した昼食を食べ、意外と高さのある講義棟の吹き抜けを仰ぎつつしばし寛いだ。ここの東京外大には初めて来たが、小ぎれいで意外と壮観な建物である。外は緑もそれなりに多く、都心部の緑地の無いキャンパスに学ぶ私にとっては少し羨ましい。

 

基礎能力試験

 休憩時間もあっという間に終わり、午後の基礎能力試験が始まった。

 まずは第1部・知能分野の部(制限時間2時間)である。文章理解の問題を先に済ませ、資料解釈も解法がよく分からなかったものの終わらせて、鬼門とする数的推理に取り掛かった。自分はついつい考え込んでしまってそれで時間を使ってしまう癖があるので、できるだけ早く理解し解くという心構えで臨んだが、案の定、問題文を読んでも理解ができず答えを導けない状態に陥ってしまった。

 何とか理解したところで目標とする5分を大きく超えてしまっていたので、一層のこと開き直って、とりあえず答えを出してみてそれが確証がない状態でも多分正解だろうというスタンスで解いていくことにした。それでも時間はどんどん過ぎていき、もう十数秒で終わるという状況になったので、後は諦めてマークシートを勘で適当に塗りつぶして終えた。

 

 10分の小休憩を経て第2部・知識分野の部(制限時間1時間30分)が始まった。こちらは5つの選択肢から最も妥当なものを1つ選ぶ問題である。分野こそ広いものの、不正解の4つの選択肢には不適切な記述がどこかしらにあるので、それを探し出せばよい。理系科目は流石に全ては分からなかったものの、その他の問題は何となくこれが正解だろうというものが分かったので、そこまで時間は掛からずに済んだ。

 

 ようやく知識分野の部も終わり、1次試験を終えた。時計は既に18時を回り、辺りはだいぶ暗くなっていた。手ごたえはよく分からないまま、重い疲労感を覚えながら帰路に就いた。

 

 さて、1次試験の合格発表は中旬の終わりごろにあるが、基礎能力試験の選択肢の正解が試験翌日から公表されることになっていた。私は早速自己採点をしてみた。第1部の知能分野は24問中13問正解、第2部の知識分野は30問中19問正解だった。

 目標は知能を最低でも16問正解、知識は知能が伸びないのを見越して20問以上の正解としていた。しかし数的推理がやはりできず知能分野の点数が伸びなかった。知識分野はまずまずだが、知能の不足分を埋めるには足りない。

 この結果を受けて、私は1次通過にギリギリ届かないなと思った。ネットの情報をあさり知能16問正解でギリギリ通っている例があるらしかったが、さすがに13問正解で通った例は見当たらなかった。ただ自分としては全力は出せたのでまあ良いかという気持ちにはなった。

 

結果

 1次合格発表の日。授業中ではあったが、私は一抹の期待を胸にスマホで合格発表の番号を辿っていった。

 すると、自分の受験番号が載っているではないか。

 まさとは思い、何度か確かめたが、自分の番号である。どうやら1次試験を通過したらしい。私は11月下旬の2次試験に臨むことになった。

 

(続きは「2次試験&合格のヒント編」へ↓)

akkiy-s16record.hatenablog.com

 

 

 

 

【独学・予備校不要】国家公務員試験 総合職<教養区分> 2次試験対策&攻略法

 

教養区分の2次試験について私がやった対策や試験当日の行動、その結果などについて書いていきたいと思います。

(といってもこんなゴミみたいな点数を取った私がどうこう言える立場にないですが、それでもどんな立ち回りでどの程度の点数が取れるかの目安にはなると思います。)

 

目次

 

結論

先に結論だけ書いておきます。

・企画提案試験で私がしたこと:事前の資料の読み込み、論理を固める。

 →結果、基準点と同じ4点をもらう(満点12点、基準点4点、平均点5.951点、標準偏差2.061)

 →更なる対策は、「役所にはお金が無い」ということや「予算を得る上で国民にどう説明するか」ということを意識する、想定される問題をいくつか予想して実際にレジュメづくりとプレゼンをやってみる、プレゼンの練習を他の人に聞いてもらいフィードバックをもらう、など。

 

・政策課題討議試験で私がしたこと:議論をぶち壊すような言動をしない、議論全体を聞きながら見逃されている論点を拾う。

 →結果、最低評価(=基準点)のDをもらう(A、B、C、Dの4段階評価、Eだと即不合格になる)。

 →更なる対策は、レジュメを時間内に仕上げる練習を重ねる(現状分析、政策目標、案の選択、理由、期待できる効果などを書く→こうすることでグルディスで皆に参照され自然と自分の持って行きたい方向に議論を導くことができるかも)、グルディスの練習を他の人とする(いなければ大学のキャリアセンターなども活用する)、など。

判定段階が1つ違うだけで貰える点数がだいぶ違ってくるので、最低でもCを取りたいところ。

 

・人物試験で私がしたこと:少なくとも面接カードに書いたことを深掘りされてもしっかり答えられるようにする。

 →結果、C評価をもらう(A、B、C、Dの4段階評価、Eだと即不合格になる)。

 →更なる対策は、「官僚はプレーヤーよりも様々な意見をまとめる調整役である」ことを意識する、組織で多くの人の間に立って調整役をした経験(ガクチカ)を話す、など。

判定段階が1つ違うだけで貰える点数がだいぶ違ってくるので、最低でもCを取りたいところ。

 

対策期間

自分のやる気があまり出ず、対策期間はほぼゼロに等しいです。事前に提示された企画提案試験の資料と、どんな感じでレジュメを書けばよいかをネットでチェックしたくらいです。

1次試験の時のように時間を多く割いてやるようなものではないですが、今思うと自分の準備は足りていないのは明白です。

 

企画提案試験

この試験は、いくつかの資料(事前に提示されていたものがほとんど)とともに課題文が与えられ、それについて具体的な政策を提案するプレゼン試験になります。

まず提案内容を紙に書き、後でそれに沿って現役官僚相手に分間プレゼンをし、20分程質疑応答をします。

 

対策としては事前に提示された参考文献のチェックしかせずに試験に臨みました。

レジュメの書き方は課題文の指示に従うことは前提として、ネットの情報を色々と参考にし、

①現状分析

②政策目標

③現状の課題の洗い出しとその原因

④最も取り組むべき課題の選定

⑤施策内容

⑥期待される効果と留意点

 という構成で書くことにしました。

ただ本番のプレゼンでは論理はそれなりに固められたものの、提案した施策の予算を全く考えておらず、面接官に突っ込まれてしまいました。

何とか卒なく答えたものの、結果は4点(12点満点中)でした。基準点(これ未満だと赤点になる最低点)が4点なので惨憺たる結果と言えます。

 

そんな感じだった私が思う企画提案試験のポイントは

・参考資料は事前にチェックし、問題を予想し書いてみる

・「役所はお金が無い」ことを前提に考える

・論理はしっかりと固める

・予算規模を提示し、なぜその予算が必要か説明できるようにする

になります。

 

政策討議試験

グループディスカッションの試験になります。

当日に資料と共に課題とそれを解決するためのA案とB案が提示されます。そのどちらの政策を支持するか考え、自分の意見を説明するレジュメを20分で作成します。そのあとに受験者6人でA案とB案どちらの政策を採るべきか議論する試験です。

 

周りに受験者がいなかったので全く対策をせずに臨みました。レジュメは

①政策目標

②現状分析

③現状の課題とその原因

④課題の解決のためにA案とB案どちらが良いか、またその理由

⑤期待される効果と留意点

という構成で書こうと思いました(こうすることでグルディスで皆に参照され自然と自分の持って行きたい方向に議論を導くことができるかも)が、本番は思った以上に時間がなく、政策目標と選択した政策、その理由くらいしか書けませんでした。レジュメも3、4行くらい殴り書きした乱雑なものです。

 

またグルディスでは周りのレジュメと話すことのレベルの高さに圧倒され議論について行けず、私は完全に空気と化しました。これではまずいと思って、各人のレジュメを繰り返し見ながら、論点に加えたほうがよさそうな考えを見つけ、タイミングを見計らって意見を述べました。司会を務めた人のフォローもあってその後の議論にこの論点が追加されましたが、ただ私の活躍らしい活躍はこれくらいで、基本は首振り人形ムーブでした()。

 

完全に轟沈した私の評価はD判定(A、B、C、Dの4段階)でした。議論をぶち壊すような言動をするなど、よっぽどのことをしなければ(そういった言動をとるとE判定で不合格となる)、ここは大丈夫だと思います。ただ、判定段階が1つ違うだけで貰える点数がだいぶ違ってくるので、最低でもCを取りたいところです。

 

私が思う政策討議試験のポイントは

・レジュメを時間内に仕上げる

・現状分析、政策目標、案の選択、理由、期待できる効果などをレジュメで書くとグルディスで自分の持って行きたい方向に議論を導くことができるかも

・グルディスの練習

・議論をぶち壊さない

になります。

 

人物試験

事前に記入した面接カードを提出し、それに沿って面接官から質問を受ける面接になります。

事前に全体で言われますが出身大学名を言うのは禁止で、そこは注意しなければいけません。

志望動機、ガクチカや課外活動、志望度の熱意、自分の価値観などについて3人の面接官から深掘りするような質問を受けました。結論ファーストで分かりやすい応答を私は心掛けました。

そのうちの1人は自分を試すような感じで質問をしてきました。それに対して私はその面接官にとって少し見当違いの答えを言ってしまいましたが、何とか持ちこたえました。こういった面接官がいても挫けないことが大事だと思います。

 

結果、私の評価はC判定(A、B、C、Dの4段階)でした。こちらもグルディス同様、判定段階がつ違うだけで貰える点数がだいぶ違ってくるので、最低でもCを取りたいところ。

 

私が思う人物試験でのポイントは

・「官僚はプレーヤーよりも調整役である」ことを前提として意識する

・調整役に相応しそうと思われるようなことをガクチカなどで話す

・面接カードの中で何を聞かれても全て答えられるようにする

・応答は結論ファーストで分かりやすく堂々と

・試されるようなことがあっても挫けない

になります。

 

まとめ

2次試験で私がやった対策は以上になります。正直2次のプレゼンやグルディスは予備校に通った方が確実なのではないかと少し感じました(ただ予備校は1次に落ちるリスクを考えるとコスパは悪いと思いますが)。参考になると嬉しいです!

 

また試験を受けた時の様子や雰囲気などはこちらのちょっとした前後編のエッセイに書きましたので合わせてご覧ください。

前編↓

akkiy-s16record.hatenablog.com

 

後編↓

akkiy-s16record.hatenablog.com

 

 

 

 

【独学・予備校不要】国家公務員試験 総合職<教養区分> 1次試験対策&攻略法

 

私は2022年の秋にあった国家公務員総合職の教養区分の試験を受け、最終合格しました。(それも下から数えてすぐの順位、あと少しで落ちるギリギリの点数で…)

 

それでも私は予備校にも行かず独学で(といってもあまり対策はできて/しておらず)、また共に受ける仲間もいない完全にぼっちの状態で合格することができました。

ご覧の通り出来はかなり悪いですね…

 

ここでは1次試験について私がやった対策や試験当日の行動、その結果などについて書いていきたいと思います。

 

(成績が低い私が偉そうなことを言える立場には無いですが、まともな対策をしていなかった私でもこれくらい出来たということは、逆に言うと、これ以上の対策をすれば教養区分に合格する可能性は高くなるということかもしれません。)

 

教養区分に関する情報は少なく、また予備校に通っているか否か、大学や地域などにより情報や合格ノウハウに偏りがあると私は感じております。この記事により、こうした情報格差を是正できればと思っておりますし、何よりも、予備校に行きたくない、独学で何とかしたい、周りに仲間がいないという方にこの記事が少しでも参考となれば幸いです。

 

目次

 

結論

先に結論だけ書いておきます。

基礎能力試験で私がしたこと:過去問の演習、歴史科目の復習(高校の教科書を読む)。

→結果、知能13点、知識18点。ギリギリ足切りを食らわずに済む。

→更なる対策は、数的推理を解けるようにする(自分の場合はやっても効果がなかったが)、知識分野を固める(コスパは悪いが確実かも)、など。

 

総合論文試験で私がしたこと:前年の問題を一度軽く解く、資料を全て踏まえながら問題にしっかり答えることを意識する。点数の重みづけはこれが一番大きい。

→結果、1部は8点、2部は7点の計15点(満点20点、平均点12.113点、標準偏差2.492)。

→更なる対策は、何題か解いてみる、他の人に書いてみた文章を読んでもらいフィードバックをもらう、など。

 

前提

教養区分の1次の対策は大学受験時などの勉強により人それぞれなのではないかと思います。私は上智大の文系学生でして、大学受験時は国立大を目指していたので、数学と社会2科目(日本史、世界史)も勉強していました。ただ数学は計算も遅く得意ではありません。

 

(計算が遅いのは1次の数的推理では致命的だとは思います)

 

したがって、以下の対策などは大学受験で社会を勉強していた人向けに一応はなります。

ただ、それ以外の方でも参考になるかもしれません。

 

勉強期間

私の場合は2か月弱くらい勉強していました。ただ集中して勉強できていたわけではなくせいぜい1日3時間くらいダラダラやっていました。

 

勉強方法

1次試験には文章理解、判断・数的推理、資料解釈からなる知能分野と、日本史や世界史、数学、物理、化学、時事など、幅広い分野の知識・教養を問う知識分野の2種類の試験があります。前者の方が配点として高くなっており、配点の比率として知能1問:知識1問=3:2です。従って知能分野で出来るだけ点を稼ぐことが1次突破のカギになると思います。

また2次試験で審査される総合論文試験も1次と同時にあります。ただこれは1次で足切りを食らうと次に進めないので採点すらされません。

 

知能分野(文章理解、判断・数的推理、資料解釈)

私がやった対策は過去問を解く、これだけです。

教材はこちらの過去問だけを使いました。その他の教材は使っていません。

厳密には教養区分の過去問ではなく春試験の問題ですが、難易度などに差はなく練習に良いと聞いて手に入れました。

 

演習の際は1問5分で解くことを心掛けていました。それ以上かかるようなら飛ばすほうが良いと思います。

文章理解などは皆できるので、ここで差がつくのは数的推理になると思います。

ただ数的推理に関して、自分は全くできず(解法すら思いつかない)、できても20~30分かかっていたというありさまでした。結局いつまで練習してもできず、完全に諦めモードになってしまいました。

本番でも5分経っても答えがぼんやりとしか分からない感じでした。

 

結果、知能分野の本番の点数は13点(24点満点中)でした。

1次通過には間違いなく低すぎる点数ですが、教養区分の合格者数の枠が近年増えていることもあってか私は何とか通過できました。だから知能分野があまりできなくても意外と大丈夫かもしれません。

 

知識分野

出題範囲が広く、勉強のコスパはとても悪いですが、時間がある人にとってはここは差をつけるチャンスだと思います。

 

勉強方法として、

・自分がある程度できるもしくは学習した分野の問題に絞る

・教科書を通読し、過去問を解きまくる

の2つになります。

 

私の場合は日本史と世界史に重点を置きました。

教材は高校時代に使っていた日本史の教科書と世界史の教科書、それから先の過去問だけです。

 

教科書は1~2回通読し、あとは過去問をひたすらやりました。

日本史と世界史の問題の難易度はそこまで高くないと思います。選択肢の中に明らかな間違いがあるので、それを見つけてその選択肢を消すっていう感じです。

 

歴史に関係しそうな倫理、政経などの問題は勘で解き、また文系なので理系科目は最初から捨てました。

 

本番では歴史はそれなりにできて、勘で解いた理系科目などの問題もまあまあ当たりました。

結果、知識分野の点数は18点(30点満点中)でした。まあまあの点数ですが、知能分野のロスを埋めるには足りないって感じですかね。

 

総合論文試験

私がやった対策は、前年の問題を大学ノート2ページにさらっと殴り書きしたくらいです。

 

・問われたことにしっかり答える

・主語と主張、理由、結論を明確にする

・資料は全部を踏まえていることをアピールする

あたりがポイントな気がします。

 

結果は15点(20点満点中)と結構良い出来でした。教養区分全体の中で配点比率はこの論文試験が一番高い(試験全体の標準点に換算される際の重みづけが大きい)ので、ここで点を取れたのは後から考えると良かったと思います。

逆に私のように2次のプレゼンやグルディスができない人にとっては、ここで点を稼ぐ必要があるでしょう。

 

まとめ

1次で私がやった対策は以上になります。特に知能と知識はこれだけ少ない対策であの点数だったので、これを読んだ皆さんはこれ以上の対策をすればもっと点数が取れる可能性が高くなると思います。頑張ってください!

 

2次試験について私がやった対策と結果などはこちらにあります。

akkiy-s16record.hatenablog.com

 

 

また試験を受けた時の様子や雰囲気などはこちらのちょっとした前後編のエッセイに書きましたので合わせてご覧ください。

前編↓

akkiy-s16record.hatenablog.com

 

後編↓

akkiy-s16record.hatenablog.com

 

 

 

 

【読書記録】「人新世の『資本論』」(著:斎藤幸平) 各章の要約も含めたメモ

 インスタの方で載せ切れなかった「人新世の『資本論』」(著:斎藤幸平)の要約メモなど。

 

 

 

 第一章では、気候変動の元凶としての帝国的生活様式について述べている。帝国的生活様式とは、大雑把に言うと先進国が途上国から資源を奪いとり、豊かな生活をするということ指す。その際に先進国(中心部)の生活の負荷は全て途上国(周辺部)に転嫁されているのである。またその転嫁には、技術的転嫁、空間的転嫁、時間的転嫁の三つがある。これらの転嫁の例としてアボガド栽培が挙げられている。チリでは輸出用のアボガドが盛んに栽培されている。しかし森のバターとも呼ばれるアボガドは大量の水と養分を必要とし、アボガド栽培に使われた土壌は他の作物の栽培を困難にする。チリは自分たちの水と食糧生産を犠牲にしてアボガドを栽培しているのだ。そこで一度干ばつが起こると、チリの人々のための飲水はアボガド栽培に使われている故にアクセスが難しくなり、加えてコロナ対策としての手洗い用の水はアボガド栽培に使われているので一層希少となる。要するに先進国での「ヘルシーな食生活」の負担がチリに転嫁されているのである。現代社会では先進国の負担が不平等な形で途上国に転嫁され見えにくくなっており、その結果深刻な環境危機を引き起こしているのだ(途上国が発展し、廉価なフロンティアが消滅したことで、先進国内部での労働搾取が激化しているのも特筆すべき事項である)。

 

 

 第二章では、気候ケインズ主義の限界が述べられている。近年、技術革新によって環境負荷を減らす試みがなされ、経済成長と環境負荷のデカップリングを目指す緑の経済成長が今後の切り札のように目されているが、ここでは緑の経済成長やデカップリングは有効であるものの、それだけでは環境危機を防ぐのに全く不十分であるということが、様々な事例を通して主張されている。経済成長はどう足掻いてもそのまま環境負荷につながってしまうのだ。その中で電気自動車に使われるリチウムイオン電池の本当のコストに関する記述がある。リチウムイオン電池には様々なレアメタルが必要で、その一つにリチウムがある。リチウムは主にチリで生産されているが、リチウムそのものは地下水に含まれているので、その採掘においては地下水が大量に汲み上げられている。しかしそれによってチリの生態系は撹乱され、現地の人々がアクセスできる淡水の量が減少している。このように、緑の経済成長だけでは不十分であり、それに伴う負担の転嫁にも目を向けなければならない。

 

 

 第三章では、資本主義社会における脱成長の限界が述べられている。本当に持続可能な地球社会を築く上ではプラネタリーバウンダリー(地球の持続可能性を維持するための負担の上限)に気をつけなければならないが、現状では殆どの国がプラネタリーバウンダリーを超えて社会的要求を満たしている。ここで全体の経済規模を抑える脱成長が必要である。ここにおける脱成長は、GDPを減らすことではなく、経済格差の収縮、社会保障の充実、余暇の増大を重視する経済モデルへの転換を意味する。しかし資本主義のもとでの脱成長は不可能であるとここでは述べられている。なぜなら資本主義の本質は無限の利潤追求、市場拡大、負担の外部化、転嫁、労働力と自然の搾取にあるからである。そのもとでは脱成長は不可能であるし、気候変動に太刀打ちできない。一見脱成長できるように見えても、資本主義は規制改革によって息を吹き返すのである。

 

 

 第四章では、最新の研究による晩期のマルクスの考えが明かされている。従来のマルクス主義は、生産力至上主義とヨーロッパ中心主義を特徴とする進歩史観であるとされてきた。しかしこれは大きな誤解であり、晩期のマルクス主義は自然科学研究と共同体研究によって進歩史観と決別し、脱成長コミュニズムに到達したのである。これこそがマルクスが説こうとした考えなのである。

 

 

  第五章では、加速主義に対する批判が述べられている。加速主義とは経済成長、生産力増大をますます加速させることでコミュニズムを実現しようとする動きのことである。しかし筆者はこれを「生産力至上主義の典型」(210頁)として否定している。加速主義は世界の貧困を救うことを目指しているが、その帰結は皮肉にも自然からの略奪という生物的帝国主義、帝国的生活様式を強化することになる。また加速主義はローカルで小規模な環境保全運動を素朴で無力なものとして批判し、左派ポピュリズムを肯定しているが、資本社会を変革するものは社会運動であり、社会変革、階級闘争の視点が欠落してしまう政治主義だけでは資本の力を乗り越えることができない。ここで社会運動が革新的な結果をもたらした事例としてイギリスの「絶滅への叛逆」とフランスの「黄色いベスト運動」が挙げられている。「豪奢なコミュニズム」を目指す加速主義は帝国的生活様式を抜本的に変えることを全く求めず、むしろ資本によって我々の生活は包摂されて、我々は生きるための技術を失い、「商品」なしでは生きて行けなくなり、資本のもとでしか労働できなくなる。結果的に加速主義は資本の専制を完成させる。

 

 

 第六章では、資本主義の本質である希少性について述べられている。資本主義は一面では技術発展と物質的に豊かな社会をもたらしているが、その本質は人工的希少性を増加させて欠乏をもたらすことにある。資本主義はその歴史から見て、共同体内の共有財産であるコモンズを解体する営みである。コモンズは土地や河川など、生活に必要なものを採取するために、社会全体で管理されるものである。コモンズは誰でも好き勝手に利用できるものではないものの、決まりを守っていれば共同体の構成員であれば誰でも無償で必要に応じて利用できる、潤沢にあるものだった。しかし資本の利潤のために「囲い込み」という本源的蓄積がなされたことによりコモンズから人々が引き剥がされ、コモンズそれ自体が解体された。囲い込み後の私的所有制によって、土地などは人々に閉ざされたものとなり、利用料を支払わないと利用できなくなった。潤沢なコモンズが解体され、希少性が人工的に生み出されたのである。加えてその土地などは、他人の生活が悪化しようと、環境が破壊されようと、所有者が際限なく好き勝手に使えるようになってしまったのだ。ここでは「私財」の増加によって、(「国富」は増大したが)希少性とは無縁の「公富」が減少したという構図を見て取れる。マルクスによれば「富」とは「使用価値」(有用性など)のことであり、私的所有・資本主義によってコモンズの使用価値それ自体は変わらないが、希少性が増大し、市場における「価値」が増える。人工的に希少性を増やすことは消費の次元でも見られる。ブランド化である。商品の使用価値は変わらないが、広告によって商品に相対的な希少性が付与される。しかしこの相対的な希少性は終わりなき競争を生み、また永続的に更新される。結果的に人々はいつまでも「満たされない」感覚を持ち続け、絶えざる消費へと駆り立てられる。加えてこの無意味なブランド化や広告のコストはかなり大きい(257頁参照)。この資本主義の人工的希少性に抗するには、マルクスの脱成長コミュニズムに基づいた潤沢な社会を創造する必要がある。コモンによって人工的希少性の、商品化された領域が減り、貨幣に依存しない領域が拡大する。そうすれば人々は労働へのプレッシャーから開放され、より生き生きとした生活を楽しむことができる。

 

 

 第七章では、脱成長コミュニズムのために具体的に何をすべきかが書かれている。その方途は「使用価値経済への転換」、「労働時間の短縮」、「画一的な分業の廃止」、「生産過程の民主化」、「エッセンシャル・ワークの重視」の五点である。

 一点目の使用価値経済への転換について、現在の資本主義社会のもとでは使用価値よりも価値のほうが重視されている。これでは、使用価値は蔑ろにされるばかりでなく、商品の質や環境負荷は二の次になる。そうすれば、マスクを価値増殖のために海外生産に頼っていた日本がいざパンデミックに遭遇したらマスク不足に陥ったように、危機に直面したときに致命的となる。使用価値を重視する経済に転換して、生産を人々の基本的なニーズを満たすように自己抑制することが大切である。

 二点目の労働時間の短縮について、使用価値経済への転換により、金儲けのためだけの生産が、社会の再生産にとって意味のない仕事が減ることになる。マーケティングや広告、パッケージング、コンサルティングなどは不要となる。現代社会の生産力はすべての人々の生存を考えると十分に高いはずであり、必要のない仕事を削減しても社会の実質的な繁栄は変わらない上に、むしろ人々の生活のためにも、地球環境のためにも好都合である。我々の労働時間削減のためのオートメーション化も、資本主義のもとでは我々は失業を恐れるので脅威となってしまう。また完全なオートメーション化によって労働時間をなくすという考えも地球環境に壊滅的な影響をもたらすので問題である。二酸化炭素排出量を減らすための生産の減速を我々は受け入れなければならないからこそ、使用価値を生まない不必要な仕事を削減しなければならない。

 三点目の画一的な分業の廃止について、人間らしい生活を取り戻すために労働に伴う苦痛を減らし、労働そのものを創造的な、自己実現の活動に変えていく必要がある。労働の創造性と自律性を取り戻す第一歩としてマルクスは分業の廃止を挙げている。そして晩期マルクスの脱成長の立場から、画一的な分業をやめれば経済成長のための利益や効率化よりもやりがいや助け合いが優先されるので、経済活動の減速が期待できる。

 四点目の生産過程の民主化について、使用価値に重きを置きつつ、開放的技術を導入して労働時間を短縮する「働き方改革」を実行するためには労働者たちが生産手段を民主的に管理する「社会的所有」が必要となる。こうすることで、より環境負荷の少ない選択がなされるばかりでなく、意思決定が減速されるので経済活動を減速させることができる。利潤のための素早い意思決定は非民主的な決定であり、マルクスに言わせれば「資本の専制」である。ちなみにソ連は意思決定の減速とそれに伴う経済活動の減速を受け入れられなかったので、官僚主導の独裁国家になってしまった。また生産過程の民主化は社会全体の生産を変えることにもつながる。利潤をもたらす新技術や知識の独占を禁止すれば、それらが持つラディカルな潤沢さを回復でき、独占に伴う弊害も取り払うこともできるので更なるイノベーションにつながるかもしれない。

 五点目のエッセンシャル・ワークの重視について、エッセンシャル・ワークは社会の再生産にとって必須のものであり、使用価値が高いものを生み出す労働にほかならないが、機械化が困難なので生産性が低く高コストなものとみなされ、理不尽な改革やコストカットが断行されてしまう。一方、マーケティングや広告、コンサルティング、金融業や保険業といった仕事は一見重要そうに見えても、社会の再生産そのものにはほとんど役に立ってはいない。これらは使用価値を生み出さない、いわゆるブルシットジョブなのであるが、高給なので人が集まってしまう。使用価値を重視する社会、つまりエッセンシャル・ワークがきちんと評価される社会へ移行しなければならない。エッセンシャル・ワークは低炭素で低資源使用なので、そのような社会は地球環境にとっても望ましい。エッセンシャル・ワーカーだけで事業を継続できるということも近年証明されている。

 

 

 第八章では、バルセロナ市における合理的でエコロジカルな都市改革の動きが晩期マルクスの視点を通して評価されている。バルセロナ市では「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」というモットーを掲げて、気候変動を食い止めるための、綿密な分析と具体的な計画を備えたマニフェストである「気候非常事態宣言」を掲げている。これは新自由主義グローバル化の矛盾に抵抗するために市民が10年に及び進めてきた草の根の取り組みが実を結んだものである。その取り組みの根底にはワーカーズコープなどの協同組合、社会連帯の伝統があり、その運動は水、電力、住宅などをめぐるそれぞれの社会運動が気候変動問題を軸として形成された横の連帯である。ここに掠奪や収奪の経済モデルから持続可能で相互扶助に重きを置いた参加型社会主義への転換の第一歩があると筆者は指摘している。またバルセロナ市のような取り組みをする革新的な自治体は世界中に広がっており(この国際的に開かれた自治体主義をミュニシパリズムと言うが)、それらは負担を外部化する社会の犠牲となってきたグローバルサウスにおけるグローバル資本主義に対する抵抗運動(気候正義や食料主権の運動など)から積極的に学んでいるという。このバルセロナ市における事例を通じて筆者は従来の左派の対案は一見革新的であるもののそれらは実は資本主義を結局は受け入れる保守的なものであると批判し、気候危機の時代には資本主義から抜け出して、脱成長によってラディカルな潤沢さを回復させることが晩期マルクスからの真の対案であると主張している。そして信頼と相互扶助を基礎に、政治、経済、環境の三位一体の刷新が、つまり国家の力を前提にしつつも、コモン(生産手段の水平的な共同管理)の領域を広げることで、脱炭素化を推進するとともに、民主主義を生産の次元へと拡張し、ミュニシパリズムや市民議会などの市民が主体的に参画する民主主義を実現させることが必要だと述べている。

 

 

【読書記録】「21世紀家族へ[第4版]」(著:落合恵美子) 各章の要約も含めたメモ

インスタの方で載せ切れなかった「21世紀家族へ[第4版]」(著:落合恵美子)の要約メモなど。

 

 

以下、要約も含めた乱雑なメモ。

 

7頁 21世紀家族を見通すために、逆説的に20世紀家族とはなんだったのかを明確にしなければならない=問題定義の重要性

 

プロローグ 二〇世紀家族からの出発

 

1章 女は昔から主婦だったか

女性は昔から主婦だった訳ではなく、戦後の高度経済成長期の中のサラリーマン家庭の増加に伴い主婦化した。

一方、女性はかつては農業などの家業に従事した、今は勤めに出ている。

産業構造の変化によって主婦化が進んだ。

そういう意味では女性は社会進出したということは半分正しく半分間違い。

昔の女性は働いておらず、最近働き出したと考えるのは見当違い。

女性は主婦だという性役割、規範は高度経済成長期に大衆化したに過ぎない。

 

2章 家事と主婦の誕生

家事と主婦の誕生からの歴史について。

市場の発達により売れる仕事と売れない仕事が分けられ、家事というものも規定され指し示されるようになった。

大正期の「おくさん」=月給取りの妻、女中という家事使用人を使い高い水準の家事をする、当時あった色々な女性像の一つに過ぎない。

戦後の主婦=女中に代わって様々な電気器具を使って高水準の家事をする、女性の中の圧倒的な多数派、違う立場の女性(働く女性など)は肩身の狭い思いをするくらい主婦であることが強い規範性を持った。

 

3章 二人っ子革命

戦後の主婦となった昭和一桁生まれの女性はほとんど2、3人の子どもを産む(多産と無産の減少)=子どもの数の画一化、規範化=再生産平等主義=出生率の第一の低下=二人っ子革命。

農業社会において子どもは生産財だが、サラリーマン社会では子どもは耐久消費財、でもそれでも子どもの数が2人を中々下回らなかったのは規範の力があったから。

 

4章 核家族化の真相

戦後の核家族化の真相は、家制度と訣別しないままの核家族化。

長兄夫婦が田舎で親と同居して、弟妹たちは都会でなりゆきのまま核家族を作った。

その弟妹たちは親族ネットワークを形成して子育てや介護などで何かと支え合っていた(=社会福祉いらない論)。

サザエさんは嫁姑の対立の無い妻方同居家族だから、家制度と民主的核家族という二つの矛盾した理想を無理なく結びつけられた。

人口転換の移行期にあった多産少死世代は、人口爆発という人口学的条件があったから高度経済成長も可能になった。

 

人口爆発、親族ネットワークの形成という人口学的特徴を持つ移行期世代が「家族の戦後体制」を支えた→「家意識の残存」「家族の自立性の高さ」等々、日本の文化的特殊性と言われることの多くは人口学的に説明できてしまう。

 

5章 家族の戦後体制

家族史的意味での「近代家族」は普遍的なものではなく、ある時代に出現した歴史的現象に過ぎない。これを普遍的なものとして理想化すると、家族が揺らぎ「危機」に陥った時(=現在進行中)にどうしようもなくなる。

 

「近代家族」という概念は、私たちが当たり前だと思っている家族が実は決して当たり前のものではないということに気づかせてくれる。

 

一九世紀家族=中産階級の「奥様」と「旦那様」の家族、女中を雇っている。

二〇世紀家族=2、3人の子どもと家事に専念する専業主婦のいる家族=大衆化している、これこそ当たり前の家族と思われている。

 

6章 ウーマンリブと家族解体

ウーマンリブの歴史

 

7章 ニューファミリーの思秋期

ニューファミリーの歴史、動向について。

戦後日本に一時期形成されたニューファミリー=友達夫婦とはいうが、これは男性優位、女性は家庭にという典型的な近代家族。

後に矛盾にぶち当たり「主婦離れ」、主婦役割からの脱出が起こる。

 

8章 親はだめになったか

20世紀の精神分析学は近代家族の人間関係を前提にした学問ゆえ、母子相互作用論など母子関係のみを強調しがち→そこで女性に言えることは男性にも当てはまる。

 

現代において、結婚をするか否か、そのタイミングを早くするか遅くするか、子どもを産むか否か、子どもを何人産むか等々、結婚と出産に関して多様な生き方が出てきている。

つまり、皆が結婚し、皆が同じように2、3人の子どもを産むという再生産平等主義、近代家族体制は過去のものとなる。

 

なぜ子どもを産むのかという問いは大きな謎となりつつある。昔は経済的に役立つから(生産財としての子ども)、みんなが産むから(近代家族の規範)だったが今ではどうか?子どもはもはや耐久消費財でしかない。

 

つまり子どもを産み育てる必要性を実感しているのは国家だけ(将来の労働力として)。国境を越えた労働力の移動を自由にすれば良いが、そうなると国家の存在基盤、意義も怪しくなる?

 

「労働力が」とか「高齢化が」とかいう天下国家の立場から子どもを持たない選択をした人たちを批判するべきではないし、できない。

 

9章 双系化と家のゆくえ

人口学的理由により家制度は今後滅びる、もしくは根本的に変質する。それゆえ現代の夫婦は、夫の家か妻の家のどちらか入りきるというよりは、両方の親たちともバランスよく付き合い続ける道を選びつつある=家制度の双系化。

 

親子の付き合い方も従来の同居or別居だけでなく近居など多様化する。

 

高度経済成長期=潜在的労働力過剰時代、終身雇用、年功序列、非能力主義の日本的経営で過剰な従業員たちの失業不安をなくし、安価な労働力を粗放に使えた。

 

また近代家族的性別分業は非効率だが女性を主婦として各家庭に抱え込ませる「失業対策」として機能した。

 

現代は慢性的な労働力不足の時代→女性の就労=家事労働(介護も含む!)の労働力も不足する時代

 

人間の生活水準はカネ、ヒマ、テマ(経済学でいう「サービス」)の三つから構成される。テマの圧倒的大部分は家事が担っている。

 

家事労働力不足は介護保険によるヘルパーさんの雇用で補っている。これにより女性のケア時間は大きく減った。また男性も家事参加しなければならないフェーズにある。

 

介護保険は費用がかかりすぎるので抑制すべきという意見があるが、これは介護のためにキャリアピークの年齢で仕事を辞める人々(=税収の損失←まだ多いが)をかなり抑えている。

 

10章 個人を単位とする社会へ

日本において江戸から明治にかけては離婚をすることは珍しいことでは無かった。

今は家族の時代、家族を基礎単位とする社会の終わり、個人の時代、個人を基礎単位とする社会のはじまり。

前者の社会を前提に雇用、税制、年金、日常生活、あらゆるシステムが成り立っていた(=サラリーマン夫と専業主婦妻、2、3人の子どもという「標準家族」から外れた人々を罰する社会)。

ライフスタイル中立的な社会制度が必要、そのための方途もいくつか。

 

11章 家族の戦後体制は終わったか

90年代からの女性の脱主婦化、就労拡大=非正規雇用の拡大でもあった(正社員OLが担っていた補助業務の外部化)。

 

この四半世紀で日本において再生産平等主義=誰もが結婚して子どもをもつ社会は完全に消え去った。これは現代社会において人生選択の自由度が増した結果である一方、結婚をしたり子どもを持ったりしたいと思っていても経済的な理由から出来ていない人々が一定数いることも示している。

 

結婚、出産、仕事など様々な選択肢から好ましい人生を誰もが選べる社会を実現するには?

 

現代において、家意識が残存していた核家族化という家族の戦後体制はすっかり変容した。「家」はもはや維持できず、核家族世帯は今でも多数派ではあるものの割合としては減少傾向にあり、また核家族の中でも子どもがいない=夫婦のみの家庭の割合が増えている。

一方で、老親援助や子育てにおいて家族主義的な相互援助が活発になっている部分もある。

 

12章 二〇世紀システムを超えて

筆者のいう「20世紀システム」=①ケインズ福祉国家、②フォード的生産様式と大量消費社会、③男性稼ぎ主と女性主婦からなる近代家族、からなる社会システム

 

「20世紀システム」からの転換にどう立ち向かったか。ヨーロッパでは結婚に関する価値観の変化に次いで、お金が無いから近代家族を作れない経済問題が発生した。

 

ただヨーロッパでは「20世紀システム」を相対化する思想が幸いにもあったので、結婚や家族の有無により法的扱いが変わらないようにするライフスタイル中立的な、「個人を単位とする社会」を目指した制度改革が進んだ。また全ての政策にジェンダーの視点を組み込む「ジェンダー主流化」も進んだ。その結果、多くの国で出生率が低下傾向から上昇に転じ、女性の労働力率も高まった(効果がまだ出ていない国もある)。

 

東アジアの家族主義は、個人の背負うリスクや負荷の受け皿として家族が機能するものだが、それは同時に家族に何かあったら自分が支えなければならない、「無くても大変、あっても大変」なシステムである。それゆえに「家族からの逃走」が起き、結婚しない、出産しない、同棲も婚外子出生もしない人が増えている(=個人主義なき個人化、家族の実態の変化の進行)。しかし社会構造としては依然として家族が単位となっている。このギャップがますます「家族からの逃走」、個人化が進んだり、あるいは家族主義を守るために無理な苦労を引き受けたりする。変化しているのに変化しないような日本社会の奇妙な実感は、現実の変化とそれに反して強固に維持される家族主義的な制度とのギャップから生まれているのではないか?

 

80年代、日本では学生運動を経て社会に出た団塊の世代がかつてない好況を謳歌したために改革の機運が萎んでしまった。オイルショック後、西洋文明が後退している中で日本が成長を続けたことは、単に人口構造や賃金の相対的な安さに起因するのに、それらには目を向けずに、成功の原因は日本的経営や集団主義などの文化的要因であるとされた。この思い違いはオリエンタリズムにおける「西洋」とは対照的なイメージとしての「東洋」を自らのアイデンティティとしてしまう「自己オリエンタリズム」が作用したと思われる。そしてこれは近代家族を日本の伝統家族であると勘違いしそれを志向する政策に繋がり、ライフスタイル中立的な「個人を単位とする社会」を目指した制度改革が不完全に終わってしまった。結果として、文化的過信に陥り客観的な社会科学的分析を怠ったことから「戦後体制」を固定する後ろ向きの制度改革が行われ、「失われた20年」を招いた。

 

現在の日本社会は「縮んだ戦後体制」と呼べる。安定した雇用と家族を持つ人々からなる戦後体制がそのまま縮んで小さくなり、その周りにシステムに入れない女性や非正規雇用や移民などの不安定な雇用や家族を持つ人々が取り残されている。現在の社会保障制度は「縮んだ戦後体制」の中にいる人々のみを対象としている。家族、雇用が多様になった今、それらの人々を社会の正規の成員として認めて柔軟に含み支えるような、ライフコースによって区別されない、個人を単位とする社会制度が求められている。

 

未婚のひとり親や移民の子どもなど、20世紀的な標準を外れて多様な人生を送る人々を包摂できる社会制度づくりが、21世紀で活力ある社会を実現することに繋がる。

 

 

エピローグ 二一世紀家族へ

タイトルの「二一世紀家族へ」を改訂にあたり刷新することも検討したが、日本はまだ二〇世紀なので、タイトルは皮肉なことにそのままとなった。しかし日本は確実にじわりじわりと変わっている。社会の様々なところにいる人たちがつながっていくことで、「家族の戦後体制」に代わる新たな時代に相応しい枠組みもできていく。